幸せとは何?「幸せ」とは、「幸せ」という感情になっている人だけがわかること
人は、いつだって幸福になりたいものです。
どうやったら幸福が手に入るのか?
何を手に入れれば幸せになれるのか?
富?名声?金メダル?ノーベル賞?
「幸せって何なんだ?」
もしかしたらあなたも、偉大なる先人の本を読んだり、様々な先輩に聞いたりしたかもしれませんね。
でも、…おそらく…その決定的な答えは誰も教えてくれなかったのではないでしょうか?
それは当然です。
なぜかというと、実を言うと、誰もその答えとなるべきものを知らないのですよ。
何故か?
だって、あなたがどうなれば幸福が訪れるのかは、他の人にはわかるわけがない。
そしてまた、あなたが今現在幸せを感じていないとしたら、今のあなた自身だって幸福など理解出来るわけがないからです。
人には恒常性(ホメオスタシス)というものがあり、なるだけ今の状態に留まろうとする強い力があるのです。
そして、あなたの脳はその状態を維持する為に何をしたらいいかを、神経を通じてその情報をあなたに与えてくれるのです。
もしもあなたがいつもムカついているのなら、ムカつき続ける為にどうすればいいかを脳が教えてくれます。
あなたが、いつも虚しい気持ちでいるなら、虚しい気持ちを持続させるための方法を脳が教えるのです。
あなたの脳は忠実に、今のあなたの願いを再現し、叶え続けているだけなのです。
もしも、幸福になるための示唆を脳から受け取りたいと思うなら、それに合った満ち足りた精神状態にならなければなりません。
あなたの今の感情が、あなたに最も相応しい道を与えるのですから。
ポジティブな精神状態の下で行動を起こしたなら、あなたはきっと成功への道を歩んでいることでしょう。
逆にネガティブな精神状態の下で行動したなら、更に悪い状況に進んでしまうでしょう。
結局のところは、目的を達成するためにふさわしい行動をあなたが出来るかどうかであって、
そして、それをあなたが脳から受け取りたいとしたなら、その前提条件として、ふさわしい感情を抱く必要があるということです。
過去に失敗した体験があれば、それを思い出してみましょう。
その判断をし決定し、行動した時の自分は、どんな気持ちだったか?
不安、怒り、欲などのネガティブな感情に駆られていなかったでしょうか?
「きっとどこかに幸せになる方法あって、それを見つけ、それをしさえすれば幸せになれるんだ!」
私はずっとこう考えていました。
しかしそれは間違っていたのです。
「幸せはどこかにあるはず!」
「~さえすれば幸せになれる!」
と、「欠乏だらけの状態」で道を探していたのです。
なんと「順番」を大間違いしていたのです。
自分自身が幸せを知らずして、幸福へ至る道を発見できるわけはないのだから…
世の中の偉人は、
「今ある物に感謝しなさい、さすればあなたに幸福が訪れることでしょう」
などと凡人にはわからないことを言い、具体的なことを教えてくれません。
「ふざけやがって!具体的なことをさっさと教えろや!」と本を投げ捨てたこともありましたが、
でも、実はその言葉自体は間違いではなかったのです。
彼等は成功方法を誰かから教えてもらったわけではなく、自分自身が感謝に満たされることで、自分の中の感情からその答えを自ら受け取ったのですよ。
ネガティブな不安、不満の感情にフォーカスし続けていた私のようなものとは月とすっぽんですな。
「不幸だ~!」というネガティブな感情のままでは、幸福の答えは受け取れません。
だって、脳が不幸だということを、あなたの願いと勘違いして、「不幸になる」ように努めてしまいますからね。
当然、無理矢理にポジティブになったとしても、意味はないですし、むしろ逆効果になってしまうことでしょう。
あなたの脳や潜在意識は、誰よりもあなたのことをわかっているのだから。
まず、あなたが心の芯から幸せを感じてほしいのです。
そして、その状態をしばらく続ければ、きっとあなたの望むべき道に進めるはずです。
世界の出来事というのは、その出来事自体はネガティブでもポジティブでもない中立的な現象に過ぎないのです。
この世界には、たくさんの不幸もあるかもしれませんが、それと同じ数だけ幸せがあるのです。
それを見た人間が出来事をどう捉えるかなのです。
あなたが既にある幸せに気付けますように!
自己啓発本やセミナーが役に立たない本当の理由 他ブログより抜粋
本末転倒だろ(*´Д`)
何を読んでも、いつもナマケている私が全く変わらないのは当然としても、
自己啓発の本というのがとても多いが、読むことが面白ければそれでいいのだが、
ジャンル的には、そのまま啓発されて、成功者になりたいという気持ちがあるから読んでいる人もいることだろう。
自己啓発系の本を読む際の注意点が書かれているブログを見つけたので、書いてみます。
以下引用です
自己啓発本というのは、読むとやる気が出ることが多いが、だからこそ自己啓発オタクが生まれてしまう。
自己啓発本を読んだときに得られる高揚感や感動、やる気、根拠のない自信……そういった感情の中毒になって、色々な自己啓発本に手を出してしまう。
それはまるで麻薬。自己啓発も学べば学ぶほど、中毒は進行していく。
★こんな本には注意!
出版社そのものが、セミナーや教材の販売会社の場合もあるのです。特定の誰かを攻撃するのが目的ではないので、この記事では名指しをしませんが、気をつけてください。
高額なセミナーや教材を売ってくる人の見極め方は3つあります。
こんな本に注意!!
1.本のはさみ込みハガキで、メールアドレスなどの登録をせまってくる。
2.著者のプロフィールに、セミナーを開催していることが書いてある。
3.本の中で、自分のセミナーや教材などの宣伝が書いてある。
すべてとは言いませんが、この3つはセミナー会社、教材会社が大好きな方法です。こうした手口にひっかからないよう、気をつけてくださいね。
★成功者が書いた本はあまり役に立たたない
本を読むとしても、自分と同じような性格で、自分と同じようなスキルを持っている人のものでないと、結果には直結しない。
経営者というのは、自己顕示欲や思い込みが非常に強い人が多いので、体験談を必要以上に脚色して書くのは日常茶飯事。
自分の思い込みを、「絶対的な成功法則」だと信じこんでいる人も少なくない。
ビジネスの成功者というのは(あくまでビジネス上では)、優秀であることが多いので、自分が当たり前にできる「曲芸」を、みんなも当たり前にできると思っている場合もよくあります。
たしかに、著者本人にとってはそうなのでしょうが、読者からすると、無意味なアドバイスなのです。そんな本を読んでも、「自分には無理なんだ」と自信喪失するだけです。
本でもセミナーでも、結果的にあなたの成功や夢に繋がっていければいいのですが、
更なる「自己啓発を受けるための自己啓発」になっては本末転倒です。
酒に溺れてしまうと、更に量が増えたり強い酒を求めるようになってしまいがち。
自己啓発中毒にはくれぐれも注意しましょう。
自己啓発本は役に立たない!?成功本で成功者の言葉で成功できるのか?
ヒーローだって最初から人格者だったわけじゃない
偉人の方々達は、
「まず感謝しなさい、そうすれば道は開けます」
なんてことを口を揃えておっしゃいます。
世に出た方々の本などを読ませて頂くと
「世の中に感謝されるようなことをしていれば」だとか
「世の中に感謝し続ければ」
すると
「結果は後からついてくる」
「お金は後からついてくる」
なんてことが書かかれてあったりするのですが、そんなことは現実には、私のような凡人にはなかなか難しい。
人にもよるのでしょうが、よほどのモチベーションがないと、なかなか続けるのは難しいところがあるかと思います。
言ってしまいますと、私が思うにはですけれども、努力もせずに下地も何もない人が成功を願ったり望みを叶えるのに「成功者の言葉そのもの」はあまりあてにならないと考えています。
そもそも「成功」の定義そのものが人によっても違うこともあるでしょう。
じゃあこの言葉とは何かと考えてみると
成功法則の言葉とは、成功者が自分に言い聞かせるものである気がするのです。
何故こういう表現になるのか考えてみたのですけれど、
おそらくは
まともな成功者が一番恐れるのは、傲慢になってしまうこと。だから、自らを戒める必要があると思うのです。
だから「謙虚でなければならない」「世に感謝しなさい」等と書いてあったりする。
これはその為の言葉だと思うのです。
成功者がこれから成功を目指す人々にむかって語る内容は、成功者がさらに成功するためには役立つけど、これから成功を目指す人にはまったく役に立たないことが多いのはこの為ではないかと考えています。
彼等とて、最初から今の位置にいたわけではないのです。
偉人と言えども、起業した無名時代に、今のような高次元の倫理観を持ちあわせていたかと言えば、そうでなかった人も多いのではないかと思うのです。
それなりの時間をかけて経営を軌道に乗せ、地道でまた泥臭いことを積み重ねた時代もあったはずです。
あなたが偉人のように成功したいと思うなら、かつて彼等の歩んできた道を巡るべきであって、出来上がった完成された形をそのまま模倣するべきではないのです。
成功者は、過去の泥臭い経験の中から、自らの言葉として模索した、最も効率の良い行動規範・ルールのようなものを探し当てたのです。
そのプロセスなしで、ただ彼等の言葉を書いて机に貼っても、まったく意味がないと思うのです。
その「プロセス」を歩むことなしに、望みなど叶えられないのです。
偉人や成功者と言われる人の話を聞く時や本を読む時に、そこを考考慮に入れると、結果につながっていくのかもしれませんね。
焦らなくていい。ゆっくりでいい。
どんな天才も、最初から頂点にはいたわけではないのだから。
自分のペースで、そのプロセスを一歩一歩確実に登っていきましょう。
トランプ新大統領の公約から、今後の世界経済を考えてみる
口の大きさから考えて、言ったことは守りそう!?
日本の政治家は公約をほぼ守りませんが、アメリカは有言実行の国です。
オバマ大統領がオバマケアを実施したように、トランプ新大統領も多少は変化を加えるにせよ、選挙時の公約を実施してくれるでしょう。
ドナルド・トランプの公約が世界経済に与える悪影響 - 貴方を幸福にするFXブログ
の記事の引用です。
トランプ新大統領の公約から、今後の世界経済を考えてみようと思います。
<トランプ新大統領の公約>
・日本や韓国に米軍による防衛費(年5,830億円)を要求
・TPP(環太平洋経済連携協定)は離脱する
・米国の軍備を大幅に拡張する
・米国へ輸入される全製品に対して関税をかける
・中国を「為替操作国」に認定する
・メキシコ国境では35%の輸入税を課す
・不法移民や不法滞在者を取り締まる
・メキシコとの国境に万里の長城を築く
・メキシコ送金は押収し、メキシコ人の労働ビザや越境手数料を引き上げる
・イスラム教徒は入国させない
・シリア難民は受け入れない
・イスラム国を爆撃する
・医療目的でのマリファナ合法化を許可する
・税制を簡素化し、減税する
・法人税を引き下げる
・銀行の規制を緩和して融資を活発化させる
<この政策が世界経済に与えるであろう影響>
・日本へや韓国に米軍による防衛費(年5,830億円)を要求する⇒日本はますます貧しくなる
・米国の軍備を大幅に拡張する⇒軍事産業、戦争銘柄の株価上昇
・関税の強化⇒輸出企業の株価下落、円高
・中国を「為替操作国」に認定する⇒中国元のさらなる下落?
・メキシコに対する規制⇒メキシコペソの下落
・税制を簡素化し、減税する⇒米国株の上昇
★新興国の通貨や株が危ないかもしれない
大統領選の後の相場を見ても、必ずしもリスクオンになっておらず、新興国の通貨や株価は軟調に推移。
特にトルコリラ、南アフリカランド、メキシコペソ、インドネシアルピアといった通貨は対ドルで下落が大きく、過去最安値を更新しているものもある。
全通貨に対して円安になったと考えるのは早計である。
トランプ氏が支えるのはあくまでニューヨークダウなどの米国経済であって、
他国の経済、例えば東証や新興国株に関しては、故意に問題を起こそうとはしないでしょうが、わざわざ助けようともしないでしょう。
よって
・ドル円や日経平均株価がどう動くのかは一概には言えないが、先進国を除く国々(特にメキシコ)に与えるダメージは大きく、大きな不安要素になるかもしれない。
・トルコリラや南アフリカランドのようなリスク通貨を安易にロングするのは、控えたほうがいいかもしれない。
妬みや嫉妬がマイナスになる理由
「あいつ、俺より先に出世しやがって」
私が会社員時代によく言っていた言葉です。
「あんな奴が何億も稼ぎやがって」
「あんな奴が、あんないい男(女)と結婚しやがって」
人は何かにつけて人に対し「羨ましい」などと思ったり、嫉妬したりするものです。
このような妬みや嫉妬が前向きなエネルギーに変えられるならそれに越したことはないですが、現実にはそうはなかなかいかないものです。
少なくとも私には出来ませんでしたね。
実は仮に愚痴など言い合って吐き出したとしても、この「妬み」や「嫉妬」というのはあまり得策ではないのです。
何故このような妬みが邪魔になるかというと
妬みというのは、同じルールの範囲でしか起こらないからです。
例えばサッカー好きが、サッカーが上手い人に嫉妬することはあっても、野球が上手い人に嫉妬はそれほどないでしょう。
会社員の同僚が出世したときに、嫉妬するというのは、相手と同じ土俵上に立っているということにほかならないのです。
それは、つまり、そこでのルールを自ら受け入れて認めてしまっているということなのですよ。
あなたが、出世した同僚に嫉妬したとしましょう。
それは、自分も同じように出世したいという意識を潜在的に持っているということであるわけです。
ここでの出世の条件やルールというのは、その会社が定義したものであり、あなたが創ったものではないのです。
もう、おわかりでしょう。
その時点で、あなたは会社のルールに縛られ、「使われる立場」になってしまっているということなのですよ。
同じように「勝ち負け」に拘る人も、やはりそのルールに縛られる可能性が高いと言えますね。
誰かを妬んだりしたときに、このような固定されたルールに縛られていないかちょっとだけかんがえてみましょう。
そこには何か別の大きな道への違う価値観、成功の道標になることもあるかもしれません。
笑顔を大切に。ミラーニューロン いつだってあなたは世界に影響を与えている。
やっちまったぁ(´;ω;`)
「笑顔を大切に」
よく聞く言葉です。
ですが、朝の慌ただしい通勤ラッシュ等を見ると、笑顔なんてほとんどありません。
みなさんしかめっ面をしていますね。
おまけに朝入ったコーヒーショップの店員まで、眠そうだったり…
そんなのを観ていると何故か自分も気が滅入ってきてしまいます。
もっとも、いつも不機嫌な私が一番のしかめっ面なんですけれどね…
あなたが、しかめっ面をしたくらいでは他人に影響なんてしないとは思っていませんか?
実はそんなことはありません。
あなたは外にいるときは常に他人に影響を与えています。
なぜかというと、動物にはミラーニューロンという脳細胞が存在するからです。
ミラーニューロンとは、高等動物の脳内にある、他個体の行動に反応する神経細胞のことで、
鏡を見ているかのように、他の個体の行動を見て、自分自身までも同じ行動をとっているかのように反応をします。
映画などの恐怖シーンや格闘技やスポーツ観戦などで怪我をして痛がってる選手を観て、自分も痛かったり気分が悪くなったことはありませんか?
そのように感じるのは、この神経細胞が反応していると言われています。
我々は、ミラーニューロンのおかげで他人の喜怒哀楽を
自分のもののように感じることができるのです。
いや、感じるのを妨ぐことができないのです。
例としては
・誰かがあくびをするとあくびがうつる
・誰かがトイレに立つと、こっちまでもよおしてくる
・笑っている人を見ると、こっちまで笑えてくる
・泣いている人を見ると、こっちまで泣けてくる
・目の前の人がコーヒーカップに手をやると、自分も手が伸びてしまう。
などですね。
私達人間には互いの行動に共感する能力があり、誰かがそれをすると、他の人も釣られてしまうのです。
あなたの心はあなただけのものですが、知らず知らずのうちに周囲に影響を与えているんです。
あなたが表情一つ変えただけでも、人の心は動くのです。
あなたが面白そうにゲームをしていたとしたら、それを見た人達も真似を始めたりします
このミラーニューロンが備わっている限り、人間って、他人の行動が気になって気になって仕方ないのです。
街で人が集まっていると、更に集まっているなんてことがありますし、
もし、閑古鳥の鳴いている店だとしても、いきなり何十人もの行列が出来たら、我先にと並んでしまう人がいるかもしれませんね
だから「サクラ」なんてものがあるのでしょう。
あなたが気分を良くしていれば、きっと周りの人の気分も良くなっていくでしょう。
あなたが誰かに「して欲しいこと」があったら、まず自分でそれをやってみましょう。
怒りに囲まれていたいなら、あなたが怒り顔をしていればいい。
あなたが微笑みに包まれたいのなら、あなたが微笑めばいい。
もし、あなたが笑っていれば、友達も家族も安心するでしょう。
あなたがしかめっ面をしていれば、友達や家族は不安になるでしょう。
だから、あなたには笑顔でいてほしいのです。
笑顔でいてくれなければ困るのです。
あなたにとって、最善の行動を取りましょう。
それが世界にとっても素晴らしい作用を及ぼすと、信じています。
あなたの歩んだ後には、皆が後を追います。
そして新しい道ができる…
それが希望に満ちているかどうか? それはあなたがどういう気持ちで、どういう表情で歩くかによって決めるのです。
希望に満ちた、笑い顔で歩ける道を創っていきましょう!
なぜ日本人は他人の目や評価を気にする傾向が強いのか?歴史観 から考える
「欧米では~~が正式」
「北欧では~の教育をしている」
「日本人は外国に比べて~だからダメなんだ」
よく聞こえてきます。
歴史の授業で 「世界史」というジャンルを教わった経験がある方も多いかと思います。
おそらく、義務教育時点から自国史に加えて、世界史をも学ぶのは日本くらいではないでしょうか。
日本で学ぶ「世界史」とは、これはヨーロッパの学者の論文や解釈に基いて書かれています。
いわばヨーロッパから観た歴史観と言って良いでしょう。
気のせいかもしれませんが、日本人というのは、他者からの評価を気にする傾向が強い気がします。
他人や他国を称賛する傍ら、自国や自分のものを卑下したりするのもこの国の特徴的なところかもしれません。
その原因の一つにこの歴史観にあるような気がします。
歴史観というよりは、歴史教育といったほうがいいかもしれません。
もちろん「他国の立場で考える」ということは、必要ですし、むしろ推奨される場もあると思います。
また「自分の立場や評価」よりも「他人の立場の評価」を中心に生きていくというのも一つの生き方でしょう。
ただ、「他者の評価」というのは自分の価値観では生きていないということですから、どうしても心理的精神的に、無理が来る人も多いのかもしれません。
例えば国別幸福度調査というものがあるのですが、これを参考にしてみますと、先進国の中では日本がいつも最下位付近をさまよっています。
あくまでもこの調査での尺度ではありますけれど
国の豊かさの割には、幸福度が低いのは、もしかしたらこれと関係あるのかもしれません。
世界の国別幸福度ランキングが公開!1位はデンマーク、日本は上位30ヶ国にも入らず | gori.me(ゴリミー)
また、それをやり続けたからと言って評価され続けていく保証などどこにもないのです。
例えば過去の「人気企業ランキング」なんてものを見てみると、
時代によって浮き沈みはあることがわかるでしょう。
今現在評価が高いからと言って、数10年後にもそれが続くことはむしろ少ないものです。
例えば今あなたが手にしているPCだって20数年前くらいには、一部のマニアだけが閲覧するようなものでしたし、タブレット、スマートフォンだって10年前くらいには持っている方が珍しかったのです。
また、画家の巨匠と言ってもいいあのゴッホでも、評価されたのは彼の死後でした。
話が反れましたが、日本人は歴史を自分の立場からだけでなく、他国の立場からも考え出来るだけ中立的に考える傾向があるようです。
さきほど書きましたように日本で言う「世界史」とは、はヨーロッパの立場による見解です。
他国から見た歴史を学ぶというのは、とても珍しいそうです。しかも日本は義務教育段階でそれをやっています。
外国では、自分の国の立場から見た歴史、自国に関連のある史実以外はあまり学ばないのが一般的のようですので、
おそらく日本人的な観点で外国の歴史教育を見たら、外国で行っている歴史教育はほとんどが「過度の愛国主義」や「極右」になってしまうと思います。
こんなところも、他者の立場で考え、他者からの評価をもとに生きている人が日本に多い理由の一つに思います。
これの善悪はともかくとしても、日本の歴史教育は世界ではかなり特殊であり、稀な例であるということは覚えていてもいいのかもしれません。
ただ、考えてみれば、自分の歴史を、自分の目ではなく、他人からの目で評価してもらい決めてもらうのは、いささかおかしい気もします。
例えばフィンランドとテキサスについて言えば、
フィンランドの歴史について、フィンランド人とロシア人が書くのは違うだろうし
テキサスの歴史はアメリカとメキシコでは別の書き方をするでしょう。
もっと適切に言えば、民事で争う二人の立場のようなものなのです。
史実に嘘がなければよいので解釈がお互いに違っていて当然なのだと思うのです。
もちろん、他人や他国に習っていくことも必要でしょう。
他人や他国の不利益になるようなことは避けたほうがいいでしょう。
また、他人や他国に評価が高いに越したことはありません。
ですが、他者や他国から見た自分に対する感想を聞いて、それで良し悪しを決めて、それに習っていけばいいんだというのは、どうなのか。
他国や他人の意見は聞いたり、取り入れるにせよ、それだけではなく、最終的には自分自身で考え、物事はその上で判断したいものです。