失望も期待もない日銀政策決定会合。発表後反応せず。
確かに必需品だな
日銀は、11月1日の政策決定会合おいて、日銀は現在の緩和(イールドカーブコントロール)の維持を発表しました。
追加緩和がなかったので普通なら期待外れで相場が下落する事が多いのですが、特に無反応でした。
失望もないし期待もない、完全無視状態にまでなってしまいましたね。
★イールドカーブコントロールは容易ではない。
イールドカーブコントロールとは、少し大雑把になりますが、日銀が「長期金利を0%に固定します」ということなのですが、
でも普通に考えてみればわかることですが、国債の金利というのはあくまでも、売買の結果によって金利が決まってくるのが当然の原理です。
「0%で固定します」と言って決められるものではないのです。
まあ、百歩譲って金利を下げるだけなら、日銀が買い手となって買いまくればいいだけなので、「金利を下げる」ほうにはある程度意図的にできるとは思います。
しかし、日銀が国債の金利をコントロールすると言った以上、これまでのように国債を買い入れて資金供給を増やすことはできません。
さらには「金利を上昇させる」ためには、売り手が増えなければならない。
この場合は日銀はどうにもなりません。
でもって現在すでにマイナス金利になっている10年もの以上の長期の国債金利をコントロールして狙った金利にするのは簡単なことではないのです。
普通に投資先を考えてみれば
「短期国債は大幅なマイナス金利」かつ「日銀に預けてもマイナス金利」
なら、当然のごとく「長期国債を買う」という判断に至る可能性が高い。
そうなれば、長期国債の買い手が増えてしまいますよね。
従って金利は低下の方向に向かうでしょう。
そうなれば、金利はいつまで経っても0%に到達するわけがないのがわかるでしょう。
後々にはコントロール不能になるのではないでしょうか。
今回の発表でインフレ2%の達成目標も、2018年に延期され、黒田総裁の任期中に達成する見込みは殆どありません。
言うなればこの政策は当初のインフレ目標2%を含め、あきらめに近いものと言えそうです。
対称的に日銀政策発表には無反応な相場も、米国大統領選挙には大きく反応しています。ヒラリー候補とトランプ候補の支持率拮抗を報じるだけで、世界中の市場が大きく動いていますね。
今は11/8の大統領選、結果の出る11/9までは、こちらを注視したほうがよさそうです。
くれぐれも投資は慎重に!
「最悪!」なんてことは、言わなくてもいい。実は最悪な事態など起こっていなかった
焼け死んじゃうよぉ…(´;ω;`)
「スマホが電池切れたぁ 最悪ぅ!」
「財布を落としたぁ 最悪ぅ!」
「取り引きキャンセルされたぁ 最悪ぅ!」
ブラック企業で、始発から終電まで働きづめだった私は、毎日毎日
「最悪ぅ!」と叫んでいました。
もしかしたらあなたも、ついつい何かの拍子で言ってしまう言葉なのではないでしょうか?
しかし、よくよく考えると、この「最悪」という言葉の使い方はおかしいように感じます。
「最悪」とは「最も悪い」ということ。
英語にすると「worst」で、最上級なので、これ以上悪いものはこの世にないということですね。
次の4つのうち最悪なのはどれですか?
1.彼女、彼氏にフラれる。
2.会社のリストラに遭う。
3.事業が失敗して、破産する
4.死ぬ
この選択肢なら、おそらくほとんどの方は4ですよね?
だって他は取り返しがつきますから。
死ぬか生きるかの事態に比べて、1や2や3を最悪と呼んでしまうのは、けっこうな被害妄想。
けれど、私達は意外とそんな被害妄想をしているような気がします。
野生の生物の世界での勝ち負けは、生き残れるか死に絶えるか、それだけです。
それ以外は全て些細な事であり、最悪どころか全く大したことでないと言っていいでしょう。
群れの仲間に嫌われて、仲間はずれにされようが、手足の何本かが食われてしまおうが、そんなのはたいしたことじゃない。
外敵をやり過ごして今日一日を生き延びれば、それだけで勝利なのです。
今日あなたがとてつもない失敗をしたとしましょう。
でもその後に最終的に家に帰って布団に入って寝ることが出来たなら、それは負けとは言いません。
生物界においては「生きているかどうか」だけが大問題なのです。
つまり生きていればあなたの勝ちなのです。
現実には、このように感じるというのは難しいことかもしれません。
かくいう被害妄想、マイナス思考の塊の私などにはまず出来ないことかもしれません。
でも、だからこそ、
今「生きている」ことの大きさ、素晴らしさをあなたに知ってほしいのです。
極論を言ってしまえばですが、今この世界に生きている人は全て、人生における今まで闘ってきた全ての勝負に勝ってきたということです。
それさえできなかった人々が、世界にはたくさんいますから、
生きているということは、それだけでとても素晴らしく、誇らしいことなのです。
もしかしたら、あなたはどこぞの海豹仙人のように安月給だったり、ブサメンだったりで自分のことを負け組と思っているかもしれません。
でも実は、それは負けではありません。
例えば、もしあなたが給料の良いところに就職していたら、必死に働きすぎて過労死していたのかもしれない。
あなたは実は今の仕事をしていたから、自分自身を守ること出来て生きていられるのかもしれない。
イケメンだったら、モテすぎてトラブルに巻き込まれて、殺されてしまったかもしれない。
ブサメンだったから、生き残れたのかもしれない。
あなたは独身で、幸せな家庭を持っている人に負けたと思っているかもしれません。
けれど、それは負けではありません。
結婚していたら、その後離婚して、裁判費用や養育費や慰謝料で苦しめられて、自殺していたかもしれない。
あなたは独身であることで、自分自身を守り生き延びたのかもしれないのです。
どんなに不運な目に遭っても、どんなに苦しめられようと、「最悪」とはならないのです。
だって、結局はあなたが生き延びることによって、「最悪でない」ということを自ら証明してしまっているわけですから。
そうです。あなたは今まで「最悪」だと思っていたことには一度たりとも遭遇していなかったのです。
ですから、最悪の状態から抜け出そうなんて考えなくてもいいのです。
だって最悪という門の前にも立っていないのですから。
ということは、今のあなたは実は幸せだということです。
でもまだそれより幸せなことがあるので、もっと幸せになろうとしているということなのですよ。
生きている私達には、「最悪!」なんていう言葉は使うことは出来ないのです。
だって最悪でないのだから。
私達は生きている以上は、今日も幸せであって、それを乗り越えて、更に幸福になっていくのです。
「幸せは手に入らない」なんて嘆くことなどないのです。
だってそれは、既にあなたの中にあるのだから…
あなたの中の既にある幸せ
早く気付いてあげてくださいね!
真理とはたった一言で伝わるものであり、長い説法ほど真実からはほど遠い
真理とはたった一言で伝わるものであり、長い説法ほど真実からはほど遠い。
世の中の本はどうしてゴミばかりなのか - 貴方を幸福にするFXブログ
より
・行動を始めれば自然とやる気は出てくるので、考える前に動け。
・潜在意識と顕在意識には時間差があるので、3ヶ月以上刺激を与え続けるのが望ましい
・潜在意識には主語がないので、相手をバカにすると自分をバカにしたことになる
・願望はそれが「叶っていない状態の肯定」なので、「叶った後の状況」を想像したほうがいい
・三倍速以上の音声を聞き続ければ、勝手に頭が良くなる
・不満を抱えるよりも、良い気分でいたほうがお得である
・人に貸しを作れば、後から返ってくる。
・地球はいつも動いているのだから、止まろうとしても不可能
・天才も凡人もたいして変わらない
・プロスペクト理論の逆をやれ
大事なことを伝えるのに、長文はいらない。
ただ一言あれば、それで十分なのだ。
確かに世に出ている自己啓発本は、これを長い文章で言い換えたものに過ぎないのかもしれませんね。
ドル円が105円台に突入 このまま円安ドル高のトレンドは続くのか?
ドル円が105円台に突入しました。
このまま円安ドル高が続くのでしょうか?
個人的には継続的に円売りするような状況ではないと考えています。
円安の原因とノンヘッジ投資の罠 - 貴方を幸福にするFXブログ
このブログによると
円売りが続くのは、日本の金融機関が海外投資を増やしているからみたいです。
特にヘッジなしの取引が多いらしいです。
普通なら、日系の金融機関が海外の株式や債券を買う時は、為替ヘッジをかけて為替による損失を避けるように工夫します。
しかし、最近のドル調達コストの高騰から、ヘッジをかけずに直接海外投資をすることが増えているようです。
ヘッジなしで海外に投資するということは、為替の影響をもろに受けるということ。
株や米国債で利益が出ても、為替差益でそれ以上の損失が出たら当然ながら赤字になります。
何年か前にJALが破綻しましたが、JALは為替ヘッジが上手く行っていなかったそうで、一方ANAのほうはヘッジをきっちりとやっていた為、その差が出たと聞いたことがあります。
日本企業は、どうも為替ヘッジを割りと軽視しがちみたいです。
ヘッジというのはいわば保険のようなものですから、何も起こらなかった場合に、無駄な経費に映りがちなので、軽視されがちなのかもしれません。
日本の場合、事なかれ主義というか、成功しなくても失敗さえなけりゃいいという考えがけっこうあるためなのかななどと推測します。
もっとも、日本国債という安全な投資先を失った今、ヘッジ云々言ってる余裕はないのか?
私はもともと「アベノミクス」の目的の一つに、日本国債を買いまくり、国債の利率を下げて生保や銀行を海外投資に向かせざるを得ないように仕向けることもあると思っています。
十分投資した後(させられたと言うべきか)に一気に落とされて、「嵌められた」と思ってももう遅いのです。
銀行や生保会社が、地獄を見ることにならなければいいのですが…
大手はともかく地方銀行などは心配になりますね。
苦手な科目は誰に聞く?挫折や失敗は無駄?実は素晴らしきこと
お前が言うのか!?
人はたいてい自分の最も得意な分野に進むものです。
例えば、数学が大の苦手の人が、わざわざ理科系に進む人はまずいないでしょう。
また、学生時代から英語が得意だった人は、たいてい文系に進み、英文科などに進む人も多いでしょう。
そして、教師になるとすればおそらくは英語の先生になる確率が高い。
従って、世の「先生」と言われる人達は、たいていは自分の最も得意だった分野を教えていると思われます。
そして、教える立場になるわけですが、そこで注意しなければいけないのは、その先生にとっては最も得意で苦労の少なかった科目ですから、不得意な人の気持ちは理解出来にくいということです。
もしかしたら、生徒に対し「何でこんな簡単なこと理解できないの?」と思ってしまうこともありがちだと思われます。
もっとも、その英語の先生に物理や数学をやらせてみたら、チンプンカンプンだったりするのだけれども…
ですから、英語の先生に英語の勉強法を聞いたり、数学の先生に数学の勉強法を聞いてそれを実行したとしても、必ずしも成果が上がらない理由はこのこともあるのではないかと思います。
余談ですが、政治の世界でも、就職活動などでおそらく苦労などしたことのない2世議員が大臣をやり、労働問題や就職や年金や介護等の問題を取り扱うことが多々ありますが、そんなことが原因で問題が更に悪化するという側面もあるのかもしれません。
人は何となくエリート思考というか、挫折知らずの自信満々な先生がよく見えてしまいがちですが、それがあなたの得意分野であったなら、そのような先生で効果は上がるのかもしれません。
ただ、それがもしあなたの不得意分野だった場合には、そのような先生に当たった場合、自信を失ったり出来るものも出来なくなってしまう可能性があります。
もしも、あなたが不得意分野の勉強をやらねばならない羽目になりましたら、このようなことも考慮されるといいかもしれません。
王子様と乞食が身分を交換して王子が乞食の身分の体験をするという「王子と乞食」という物語では後々に素晴らしい王様になりましたが、それは乞食という身分で一般市民に交じり生活をすることによって、貧しい暮らしを体験して、国民の気持ちや実際の生活というのを身を持って体験し理解したことが、大いに役に立ったであろうことが想像出来ます。
挫折体験というのは、実は人生においてとても大切なものなのです。
「苦労は買ってでもしろ」と言われますが、
私はこの言葉の意味するところがわかりませんでした。わざわざ苦労なんてすることは必要ないとずっと考えていました。
しかしながら、こうして考えてみると、この言葉はあながち間違いではないのかもしれません。
あなただってもしかしたら、出来れば記憶から抹消したいくらいの挫折体験や苦しんだ体験があるかもしれません。
でもそのことがあるからこそ
その問題を抱えた人々の立場や気持ちを正しくわかるということでもあるのです。
「挫折」や「失敗」は忘れるべきものではないのです。
むしろ誇るべきものであり、あなたの貴重な財産なのです。
これからは、過去の挫折も苦労も苦しみにも、誇りを持ちましょう。
挫折したからこそ、そういう経験があるからこそ説得力というものが出てくるのです。
それを知っているあなただからこそ、部下や生徒や子供たちに、正しく伝えることが出来るのだから。
子供には「疑い」でなく「期待」を持って見続けること
「ショーシャンクの空に」という映画があるのだけれど、
「自分は無実なのに罪を着せられる」
というのは、決していい気分ではないだろう。
ましてや、刑務所に入れられてしまうとしたら、
そこまでいかなくても、冤罪とか何か無くなったとかで容疑者の一人になることくらいでも、いい気分ではないだろう。
刑務所に入れられてから、何年も経って無罪がわかり、釈放されたということが時々見るけれども、あれは本人の気持ちを考えると筆舌に尽くしがたいものがあります。
だからこそ、こういう映画がヒットするのだとも言えるのですが。
人間には間違いがあるのはわかっているが、あれを見てしまうと、証拠集めや検証や取り調べは十分に慎重にと考えてしまう。
何故こんなことを書いたかというと、
最近
「またあんたがやったんでしょ」
「あんたはろくなことしないんだから」
と母親が子供に叱っている現場を目撃したからです。
子供が何をやったのかはわからないし、いきさつは知らないのだけれども
これって子供にとっては、
「無実の罪」で逮捕されているようなものかもしれないな
と感じたのです。
確かに何か叱られるべきことをやって、当然その行動によっては叱ることはあるでしょう。
でも、子供が「悪意をもってやっている」と決めつけたり「子供の人格」を否定して、その前提で叱るのはどうなのかなと思ったのです。
叱るのは時には必要なこともあります。それは当然です。
でも「人格」や「性格」を否定はすることは望ましくありません。
関連記事⇨人の行動を「性格」としてでなく「状況」で見てあげよう
これは過去にも一度や二度聞いたわけではないので、けっこう使われている言葉なのかもしれないが、
これをやったら、逆ピグマリオン効果になってしまうかもなあと思いました。
関連記事⇨「ピグマリオン効果」について
子供に「あなたは素晴らしい子」と言えばそのとおりに育つし、
子供に、「あんたは駄目な子」と言えばそのように育つ確率は高い。
ショーシャンクに出てくるアンディがくじけなかったのは、凄いことだとおもうけれども、
もしアンディが子供だったらそうはいかなかったでしょう。
ご両親には、子供を「疑い」をもって見るのではなく、「期待」を持って見続けていて欲しいと願いたい。
お金と幸せ お金の価値 「世の中はお金じゃない、幸福はお金じゃない」は本当なのか?お金の存在の意味とは?
「世の中お金じゃない!」
「お金に固執するなんてくだらない!」
なんて声がよく聞こえてくることがあります。
私もそう思っていましたし、今もそういう気持ちはあったりします。
逆に「世の中金が全てだ!」という人もいるかもしれません。
でもどちらにせよ、現代社会に暮らしている限り、お金は必要なものです。
ですから好き嫌いにかかわらず、それを受け入れざるを得ないことは確かでしょう。
だとしたら
あなたはお金を大切にしていますか?
これを見て下さい。
どんな気持ちになりましたか?
ニッコリ素直に笑えましたか?
それとも苦笑いになりましたか?
または、嫌悪感のようなものが湧きましたか?
さて、あなたは、お金に対して、どのようなイメージを持っているでしょうか?
例えば、
「お金は、汚いものだ」
「お金は卑しいもの」
「お金は怖いもの」
だったり
「お金の話しをするなど、みっともない、はしたない」
「お金は、ただの交換の手段」
などと言う人もいるでしょう。
多くの人々は、多かれ少なかれ、このようなイメージを持っています。
なかなかプラスのイメージが沸かないものです。
例えば「お前は金の亡者だ。」と言われて嬉しい人は少ないでしょうし、たいていの人はそれが悪口に聞こえるでしょう。
でも、普段は
「世の中お金じゃない」
「お金に固執するなんてくだらない」
「お金の話をするのは、みっともない」
などと言っているくせに、お金がなくなってくると「お金お金」と慌てふためいたりするのです。 私の事です^^;…
食べ物も買う余裕もなく飢えを凌いだりするのが嬉しい人はあまりいないでしょう。
また、仮に仕事を好きでやっているにせよ、サービス残業が好きという人はあまりいないでしょう。
あなたは、ほんとうはお金が欲しいのです。
お金が増えるということは、選択肢が広がるということです。
高級外車も買えるが、中古の軽自動車を買ってもいい。
5つ星レストランで食事をとってもいいが、B級グルメやファーストフードで済ませてもいい。
お金はありすぎてもよくない、貯めておく意味がない等という人がいますが、
自分自身のために使うのもいいですが、別に人を助けるために使ってもいいのです。
もしお金が余って不要になったら、あなたが助けたいと思う対象に寄付でもすればいい。
それでも使い切れなければ土地を買い公園をつくって、国や市町村に寄贈してもいいでしょう。
無料の介護施設や、無料の学校や無料の遊園地をつくってもいいでしょう。
まあ、そんなことまで考えなくても
「お金はあるに越したことはない」と思っているのではないですか?
もし、そうだったら、お金にポジティブなイメージを持ったほうがいいと思うのです。
頭の中の「思考」では必要だと思っているのに、「感情」のほうで毛嫌いしていたのでは、手に入るものも入らなくなってしまいますからね。
あなただって、もし誰かに「あなたのことは、思考では好きだけど、感情では嫌いです」なんて言われたとしたら、仲良くしようとはおもわないでしょう?
お金だって同じです。
例えば、「お金とは、感謝の気持ちである」
なんていうふうに思えればいいのですが
いきなり「お金」と「感謝」とが結びつくという方はすくないかもしれません。
では、どうしたら「お金」と「感謝」が結びつくのでしょうか?
もし、あなたは人に何かしてもらって、感謝を示すときどうするでしょうか?
きっと「ありがとう」と言ったりするでしょう。
または、その人が何か困っていたら、手伝ったりしてお返ししたりするかもしれません。
さて、そこでもし日本に「感謝を言うことや表現をしてはいけない」という法律があったと考えてみましょう。
法律によって人の親切に対して言葉や行動でお礼が出来ない場合はどうしたらいいか考えてみましょう。
例えば…
あなたは、お腹が減ってしまって食べ物が食べたくなりました。
それを見た人があなたに、ご飯とおかずと飲み物をくれました。
あなたは、その人に対しお礼をしたいのですが、それを言葉や行動で示すことは法律で禁じられています。何もせずに去っていけば食い逃げのようなものですので、それは避けたい。
では別の形でお礼しなければなりませんね。
そんなときに思いつくのはなんでしょうか?
きっと「相手の必要なものをあげる」という行為ではないでしょうか?
でも、その相手の欲しいものを聞いてそれを探してくるとしたら、それも時間がかかってしまいますよね。
だとしたら、お金を渡すという答えにたどり着かないでしょうか?
例えばそれを500円で代用するという感じです。そうすれば相手も同等の欲しいものが手に入ります。
本当だったら、50回くらい「ありがとう」と頭を下げて感謝の気持ちを示したいのですが、50回お辞儀したりしていたら、相手も自分も時間がなくなってしまうし不便ですよね。相手だってそんなお礼なんて求めてない可能性もありますし。
そう考えていくと、「お金」というのは、「感謝」を表すもの、代用品とは言えないでしょうか?
つまり、お金とは感謝の気持ちを、「目に見える形」にしたものと言えるのかもしれません。
例えばこの話のように「感謝の気持ちをお金に代えて、お礼をする」
そういうことと考えると、お金の意味は違ってくるのではないでしょうか。
会社に行けば、あなたは会社の為に働き会社のこと、経営者を助けてあげる。
助けられた経営者は、社員一人一人に、会社に関わる方々にお礼をしたい。あなたにもお礼をしたい。
でもそんな時間はさすがにない。だから、お礼をお金に代えてあなたの銀行口座に振り込むのです。
あなたのスマートフォンやPC、今日食べた食品もそうです。
部品の製造、調達、運搬、販売、それに関わるすべての人々にお礼に代えてお金を渡しているのです。
世のお金持ちと言われる人達は、たくさん感謝されているからお金が集まっているとも考えられます。
また、あなたが沢山の人に感謝を示したいのであれば、お金が必要になってくるのだと思います。
感謝が集まらない人や、他人など助けたくない人、人からの感謝などいらないという人が恒久的にお金が貯まると思いますか?また、そんな人の売るものにお金を払おうと思いますか?
また、お金に余裕がない人ほと、稼ぐことに囚われ人にお礼をする時間や感謝などをする余裕もなくなっていきがちです。
よく見てみると「お礼」と「お札」の字は、とてもよく似ています。
漢字の成り立ちについては専門的なことはわかりませんが、もしかしたら、こういうことと関係があったのかもしれません。
そう思うと
「お金とは、感謝の気持ちである」
と思えてきませんか?
お金の話を避けたり、みっともないと思っているということは、裏を返せばお金に振り回されているということにもなるのです。
もう21世紀は、そろそろ、お金などに振り回されるような生き方を、もう卒業してもいいと思うのです。
あなたは「お金の奴隷」ではないのです。
いわば「ご主人様」なのですから。
ご主人様が、お金に使われていたら、おかしいじゃないですか。
もしあなたがお金を稼ごうとするならば、まずはお金を好きになってみませんか?
心にお金に対する抵抗があるなら、それを弱め、お金の存在に感謝しませんか?
お金は、あなたを苦しめるものではありません。
あなたを幸せにするために、そして助けるために、お金があるのです。