正しいか間違いか、常識、非常識、普通かどうか、白黒つけるのは意味が無い
「非常識」かよ(;´∀`)
「これは正しい」
「そんなの当たり前だ」
「そんなの非常識だろ」
「それは間違っている」
人は物事に、とかく白黒つけたがるものです。
もともと物事の善悪など、人によっても、時代によっても違うものなのに。
そんなことはわかっていても、
これはが正しいのか?
これは間違っているのか?
聞き耳を立てれば、議論の声が聞こえます。
あなたも頭の中で、いつも自問自答が絶えません。
どうすれば、お金が儲かるのか?
どうすれば、幸せに浸れるのか?
今度のIPHONE7は買いか、見送りか?
追加緩和は本当にインフレに有効なのか?
この政策は、本当に国民の為になっているのか?
それぞれの問いには100%とはいかないでしょうが、その時その時で、出来るだけ適切であろう答えを導こうとします。
それを考えることは無駄ではないでしょうし、その選択をするというのが私達の一つの義務なのかもしれませんね。
しかし、それが将来もずっと正しい事柄かどうかは、何百年か経ってみないことにはわかりません。
例えば、画家のゴッホの絵画は、生前はあまり評価されていませんでした。
地動説を発表したガリレオは、当時は宗教的タブーであった為、懲役刑を言い渡される始末で罪人となり、当時は学者としてはあまり評価されていませんでした。
先の第二次世界大戦前には、ナチスドイツのヒトラーは確かに英雄でしたし、また当時日本やドイツを引っ張っていた時の指導者達は英雄でした。
でも、その後戦犯となり、現在では悪人として教えられています。
このように、物事が正しいかどうかなんてことは、数十年経ってようやくわかるのです。
ノーベル賞だって、発見した数年後に貰えるなんて稀なこと。評価されるまでにはたいていはそれなりの年数がかかるのです。
今や日銀が国債が買い入れまくっていて、国債バブルと化していて、買い入れ額は限界に達そうとしています。
それによって金融クラッシュの道を辿る可能性も高い。
でも、それが元になって、国民の精神に火がつき、日本が復興のリーダーとなって世界経済が復活するかもしれない。
まあ…確率は極薄だと思いますが…
絶対無いとは誰も言えないのです。
過去の大失敗が人を成長させ、大偉業を成し遂げる例は決して珍しくありません。
事故に遭うことで、より大きな不幸から逃れられることもあります。
むしろ、とんとん拍子に成功した人のほうが稀でしょう。
そもそも今のあなたの誕生だって、もしかしたら当時は予定外であって、実はご両親のちょっとした気の迷いの産物だったのかもしれません。
何が間違っていて何が正しいかなんて、誰もわからないし、誰も言えないことなのです。
国連だって、裁判官だって、ノーベル賞学者だって、あなたの尊敬するあの方だって、完全な正解など解き明かすことは出来ません。
それが正しかったかどうかは、後の結果だけが物語ってくれるのです。
ですから、
今の選択は正しいのか?間違っているのか?
なんて、そんなことは悩む必要は全く無いことに気付くでしょう。
結果はどうなるのだろうなど心配する必要はないし、逆に過去を後悔することも悩むこともないのです。
それが正しいかどうかなんて、先に経ってみないとわからない。
誰もわからない。
答えがわかるのは、数十年いや百年後かもしれません。
その時には、もう生きてはいないかもしれません。
それなら「今俺は何をするべきか?」なんて、そんなのは、悩まなくていい考えなくていい知らなくていいとは思いませんか?
ただ自分が正しいと思ったことをやればいい。
今のこの瞬間を精一杯生きればいいのです。
そしてその結果は正しい正しくないはどうでもいいこと。
その結果をあなた自身が受け取ることが出来るかどうか
そこが重要なのだと思うのです。
何が正解なのかは今は誰にもわかりません。
なら、せめて自分らしく、ありのまま生きていきましょう。