「悪気はなかった」という言葉ほどたちの悪い言葉はない。
「悪気はなかった」という言葉があります。
「悪気はなかったのだから、いいじゃないか」で済ませている光景を見ますが
この「悪気がない」という言葉はたちが悪いなあと思う時があります。
これを言う人は
「わざとではない」「迷惑だとはわからなかった」「気づかなかった」
と思っているわけですから、躊躇なく、罪悪感もなく素で平然とそれが出来るわけでもあるわけです。
だから「悪気はなかった」と言うわけです。
人に「悪気がある」場合、つまりそれを自覚しているならば、物事の善悪の判断できる材料を持ち合わせているということですから、その後改善される可能性も見込めます。
でも、「悪気はない」と言う人はその善悪の判断材料自体を持ち合わせていないと自ら言っているわけです。
被害者に言われるまでは全く気付いていない。
言い換えれば、「自分にはその行為をおかしいと判断できる材料がない」と言っているわけです。
ですから罪悪感もないでしょうし反省もしないでしょう。
おそらくは今後改善することもなく、その行為を何度でも繰り返すことでしょう。
「悪気はなかった」の決まり文句で何度も何度も繰り返されると、もう二度とその人とは関わりたくないと思うのではないでしょうか?
当の本人は
「知らなかった」
また時には、「お前の為を思ってやった」と誇らしげな顔をしていたりすることもあったり。
なぜ自分が周囲から敬遠されるのかも、全く理解出来ないのです。
法律的な犯罪でなくても例えば会社で
あなたが、これからとても重要なプレゼンを控えていたとしましょう。
そのときにあなたの部下が大慌てで駆け込んできたとして、
あなたがその慌てぶりに何事かと訪ねてみると、
「大変です。さきほどお客様から大クレームがありました。」
と言ったとしましょう。
もしあなただったら、そんなときどんな気分になるでしょうか?
とりあえずもう二度とその部下とは関わりたくないと思うのではないでしょうか?
当の本人は
「なんて自分はいいことをしたのだろう、ファインプレーだ」と誇らしげな顔をしているのです。
なぜ自分が周囲から敬遠されるのか全く理解出来ないのです。
こういう人の本当に怖いところは、本人に全く悪意がないということです。
もしろ、自分は「救ってあげた」「本人のためにやってあげた」と思ってるから尚更たちが悪い。
悪気なく周りの人に悪影響を及ぼすのがこのような「負の因子」を持った人の特徴なのです。
これは気質や性格がどうこうでなく、おそらく何らかの病気ということです。
この人たちの更にたちが悪いことは、本人ではなく、周囲の人たちを巻き込んで負の因子を他人にも伝染させてしまうということです。
これらは、本人は「正しい事」「常識」と思っているので、いくら言って聞かせても相手に理解させることは難しいでしょう。
ですから、そっと自分から距離を置くしかありません。
あなただって、高速道路で、暴走車が乱暴な運転をして、前へ前へとごぼう抜きしている車があったとしたら、それに近づいていって、注意はしないですよね?
そのような暴走車からは自分からそっと離れて距離を置くのが一番です。
もらい事故を避ける方法は、これしかありません。
「君子危うきに近寄らず」とは言いますが、
「人を矯正出来ないことを嘆くのではなく、矯正出来ない人からいかにして距離を置くか」
というのも大切な考え方の一つなのかもしれません。