迷ったら「好き」「嫌い」で決めてみる
好みは人それぞれ
「あの人の〇〇はおかしい」
「誰々の〇〇は間違ってる」
の、〇〇は後付けです。
もともとの根底には『好き』『嫌い』があって、それを正当化するために後付けで理由をつけているだけに過ぎません。
「この人なんか嫌だなあ」って思うと、あの人のここがおかしい
い、ここがイヤだ、って言ってたくせに、何かのきっかけでその人のこと好きになると、そのことなんかどうでもよくなるものなのです。
全ては後付けなのです。
どんなに、あたかも正しそうに言っても、ゆるぎない事実であるかのように言ってても、一番下の土台に『好き』『嫌い』があって、すべてその土台の上にのっけてるだけなのです。
だから、土台が入れ替わると(「嫌い」が「好き」に変わる、または逆に変わると)全部崩れるのです。
どんなに頑丈な建物を建てたとしても、土台が崩れたり地盤が緩んだらどうしようもありませんから。
よく何か物事で迷った時に、それぞれのメリットとデメリットを考えたりしますけど、それってつまり土台は無視して、建物の2階部分、3階部分をチェックしてるようなものなのです。
おそらくその土台というのは、
「好き」「嫌い」
とか
「なんとなくイイ」とか「なんとなく悪い」とかの直感
とか「縁」が有るとか無いとか
そういう曖昧で根拠のないものだったりすると思います。
それが、土台であり、それを建てる地盤なんだと思います。
「論理」とか「思考」とか「正誤」とか「損得」というのは建前であり、無理に上記の「土台」に後付けしたものに過ぎないものなんだと思います。
これによる後の理由付けによって、あたかも正しそうに見せることはいつでも出来るわけだから。
その後付けの正しさより、好き嫌いや
「なにか違うんだよよな」
「何でかわからないけど、違和感ある」
という感覚も大事にしてみるものが、実は最も最良の道なのかもしれません。