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トランプか?ヒラリーか?米大統領選と株価や為替の暴落リスク

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この人ほど農業のことを考えている人もいない!?

 

米国大統領選挙が迫ってきました。
いま現時点ではヒラリー氏が断然有利のようですね。

 

討論会の結果や、その都度マスコミを通じて支持率を見ながら、大多数の方が「どうせヒラリーが勝つ」と思っているかもしれません。
私も、おそらくはヒラリー女史が当選するのだろうなとは思っていますが、
でも、ちょっと待って下さい。

 

以下 

トランプリスク 米大統領選の結果次第で暴落が発生する - 貴方を幸福にするFXブログ

 からの引用です。

 

そう思っている人が多ければ多いほど多いほど、外れた時の為替や株相場への衝撃は大きくなります。

 

 先の英国EU離脱投票を振り返って見てみて下さい。

 英国EU離脱投票は、直前まで残留派が有利と見られていたために、離脱がサプライズになってポンドが大暴落しました。

おそらく、最初から離脱が確実視されていれば、ああいうふうにはならなかったでしょう。

トランプ氏が周囲に見放され、ヒラリー氏の当選確率が上がる報道がされればされるほどに、実はサプライズ時の危険が増しているわけです。


どちらの候補が合衆国大統領に相応しいのかはともかくとして、選挙結果次第ではの相場への影響も当然あることでしょう。

もしもトランプ氏が勝てば、今まで言ってきた過激な政策に対する懸念でリスクオフ相場か?そうなれば発表の直後に相場は日経平均株価やニューヨークダウ、ドル円クロス円などが急落する可能性が高い気がします。


どちらにせよ開票時には、相場は大荒れが予想されます。
土壇場で慌てなくて済むように株や為替のポジションをお持ちの人は、あらかじめ整理しておくことが賢い選択かもしれませんね。

 

米大統領選投開票は、2016年11月8日です。

「悪気はなかった」という言葉ほどたちの悪い言葉はない。

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「悪気はなかった」という言葉があります。

 

 「悪気はなかったのだから、いいじゃないか」で済ませている光景を見ますが

この「悪気がない」という言葉はたちが悪いなあと思う時があります。

 

これを言う人は
「わざとではない」「迷惑だとはわからなかった」「気づかなかった」

と思っているわけですから、躊躇なく、罪悪感もなく素で平然とそれが出来るわけでもあるわけです。

だから「悪気はなかった」と言うわけです。

  
人に「悪気がある」場合、つまりそれを自覚しているならば、物事の善悪の判断できる材料を持ち合わせているということですから、その後改善される可能性も見込めます。

 

でも、「悪気はない」と言う人はその善悪の判断材料自体を持ち合わせていないと自ら言っているわけです。

被害者に言われるまでは全く気付いていない。

言い換えれば、「自分にはその行為をおかしいと判断できる材料がない」と言っているわけです。
ですから罪悪感もないでしょうし反省もしないでしょう。

おそらくは今後改善することもなく、その行為を何度でも繰り返すことでしょう。

 

「悪気はなかった」の決まり文句で何度も何度も繰り返されると、もう二度とその人とは関わりたくないと思うのではないでしょうか?

当の本人は

「知らなかった」

また時には、「お前の為を思ってやった」と誇らしげな顔をしていたりすることもあったり。
なぜ自分が周囲から敬遠されるのかも、全く理解出来ないのです。

 

法律的な犯罪でなくても例えば会社で

あなたが、これからとても重要なプレゼンを控えていたとしましょう。
そのときにあなたの部下が大慌てで駆け込んできたとして、
あなたがその慌てぶりに何事かと訪ねてみると、
「大変です。さきほどお客様から大クレームがありました。」
と言ったとしましょう。

もしあなただったら、そんなときどんな気分になるでしょうか?


とりあえずもう二度とその部下とは関わりたくないと思うのではないでしょうか?

当の本人は
「なんて自分はいいことをしたのだろう、ファインプレーだ」と誇らしげな顔をしているのです。
なぜ自分が周囲から敬遠されるのか全く理解出来ないのです。

 

こういう人の本当に怖いところは、本人に全く悪意がないということです。
もしろ、自分は「救ってあげた」「本人のためにやってあげた」と思ってるから尚更たちが悪い。

悪気なく周りの人に悪影響を及ぼすのがこのような「負の因子」を持った人の特徴なのです。

これは気質や性格がどうこうでなく、おそらく何らかの病気ということです。

 

この人たちの更にたちが悪いことは、本人ではなく、周囲の人たちを巻き込んで負の因子を他人にも伝染させてしまうということです。


これらは、本人は「正しい事」「常識」と思っているので、いくら言って聞かせても相手に理解させることは難しいでしょう。

ですから、そっと自分から距離を置くしかありません。

 

あなただって、高速道路で、暴走車が乱暴な運転をして、前へ前へとごぼう抜きしている車があったとしたら、それに近づいていって、注意はしないですよね?

そのような暴走車からは自分からそっと離れて距離を置くのが一番です。

もらい事故を避ける方法は、これしかありません。

 

「君子危うきに近寄らず」とは言いますが、

 

「人を矯正出来ないことを嘆くのではなく、矯正出来ない人からいかにして距離を置くか」
というのも大切な考え方の一つなのかもしれません。

 

 

子供を褒めるときのコツ 効果的な褒め方

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子供の教育には、褒めることが効果的とよく言われます。

褒めることは子供に自信を持たせ「もっと頑張ろう」というやる気を起こさせます。

 

褒めたり期待されたりすると、期待通りの結果を出すようになることが実験的にわかっています。

参考記事⇨ピグマリオン効果

 

とは言え、褒め方にもいろいろあります。

 

そこで褒め方のコツを

子供ゴコロの心理学

 

を参考にして書いてみました。

 

誰かと比較して褒めることはNG

兄弟や周りの友達と比べて褒めるのは良くないです。
誰かとの比較でなく、あくまでもその子独自の存在をまず認めてあげることが大切です。

 

・スキンシップしながら褒めるとGood

頭をなでたり抱きしめたりするなど
スキンシップとともに褒めるのも効果的です。

 

・褒める時は間をおかず、すぐに褒める。
子供というのは、行動の後しばらく経ってから褒められてもピンと来ません。

何か褒めるような行動をしたときは、時間をおかずその時に褒めるようにするといいようです。


・感謝の言葉は効果的

感謝の言葉、例えば、「手伝ってくれて助かった」「ありがとう」など
というのもモチベーションを高める効果的な褒め言葉です。

 

 

・「結果」を褒めるのでなく「努力」や「過程」を褒める

これは重要だと思います。

親としてはテストの点数が良かったときなどに、ついついその点数(結果)を褒めてしまいがちな気がします。

「90点とれて凄いね」「よく出来たね」というふうに、結果を褒めるのではなく
ではなく、
「今回はとても頑張ってたね」
「一生懸命練習したものね」
というふうにその過程を褒めることを心がけましょう。

 

・「才能」や「能力」でなく「努力」「行動」を褒める。
褒めるときの注意点として、「才能」や「能力」を褒めるのではなく「努力」や「行動」を褒めることです。

やりがちなのは、
「頭がいいね」
「才能がある」
「何でもよく出来るね」
などという「才能」や「能力」を褒めてしまうことです。
これは、一見いい褒め方に思えますが、子供にプレッシャーを与え
「失敗して、ガッカリさせたらどうしよう」と失敗を恐れ
より難しいことにチャレンジする意欲をなくさせてしまう可能性があります。


それよりは「努力」や「行動」を褒めたほうが長期的な自信になり、失敗を恐れずチャレンジする力が育ちやすいです。

 

褒めるときのポイントをいろいろ書きましたが、当然のことながら
「褒めて伸ばす」とは言え、それは「叱らない」(甘やかす)ということではありません。
子供が悪いことをしたり、周りに迷惑をかけたりしたらきちんと叱ることも大切なのは言うまでもありません。

 

 

子供を叱るか褒めるか迷うときどうするか

 

子育てにおいて、子供のことを「褒める」と「叱る」のさじ加減はなかなか難しいものです。

よく「褒めて育てる」などと言いますが、なんでも褒めればいいというものでもないでしょう。

 

でも、一方で叱って短所を直すやり方というのも問題があるようです。

子供も親も人間であり、環境や時代やまた、生まれたときの初期設定が違うわけで、一概には言えるものではありません。

褒めることも叱ることも必要なのは、誰もわかっていることだとは思うのですが、ただそれをいつ何時どういう場合に?と考えてみると、これといった明確なものが思い浮かばない場合も出て来るのではないかと思うのです。

一つの考え方を書いてみようかと思います。

 

子供をいつもいつも叱っていると、その叱ったことを子供が繰り返すことってありませんか?

 

それは何故かというと、子供には基本的に「親にかまって欲しい」という欲求があります。

 

子供でももちろん「褒める」というかまわれ方のほうがいいはずですが、それが不足していると、「叱る」というネガティブなかまわれ方を求めるようになってしまうのです。 

関連記事「プラスのストローク」と「マイナスのストローク」

 

特にまだ子供がものの分別、例えば善悪などがまだ明確に理解できていない時期には、「褒められる」と「叱られる」が大人ほどには明確に分かれていないのだと推測出来ます。
そのとき子供は、「褒める」も「叱る」も同じ「かまう」という行為と同様に思っていると推測することが出来ます。

そして親が反応を見せることを「かまう」と確認し覚えて、そのことを繰り返すようになります。


自分が何か行動をしたことに対し親がこちらを向いてくれるということを繰り返すようになっていくのです。

 

ですから、親が好ましくないと思っていることを「叱る」ことも
好ましいことを「褒める」ことも、

どちらも「親がかまってくれる」という反応ですから、


親が子供のことを「褒める」ということが増えれば「褒められた=かまってくれた」その行為を子供は繰り返すようになり、「叱る」ということ増えれば、「叱られた=かまってくれた」その行為を子供は繰り返すようになるわけです。

 

例えば子供が、後片付けをしなかったとします。

それを

「何で片付けが出来ないの?」「片付けなさい!」

などと叱ってばかりいたとしたら、おそらく子供が片付けをしようとする意志に傾いていても、その後に片付ける確率は低くなると推測されます。

何故かと言うと、片付けをしないほうが「叱る=かまってくれる」からです。

 

それよりはおそらく、片付けしないときには、「お片付けしてくれる?」とだけは言ってみて、しなくても注意せず無視無関心でいます。

その後もし片付けを行ったら、褒めてあげるというふうにしたほうが、片付けが出来る子に育っていく確率は高いと推測されます。

 

もちろん、全て褒めていればいいというわけではないでしょう。例えば道路で赤信号を飛び出すとか、他人へ害を与える行為など叱らねばならないことというのもありますので、それは叱るべきでしょう。

でもそれ以外の緊急を要しないものに関しては上記のような対応で根気強く子供を導いていくのがいいのかなと思います。

 

もしも、この先「褒めるべきか?」「叱るべきか?」で迷われてしまう事象が出てきたときには、これを頭において、使い分けをしてみるというのも一つの方法かと思います。

 

 

迷ったら「好き」「嫌い」で決めてみる

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好みは人それぞれ

 

 


「あの人の〇〇はおかしい」
「誰々の〇〇は間違ってる」
の、〇〇は後付けです。

もともとの根底には『好き』『嫌い』があって、それを正当化するために後付けで理由をつけているだけに過ぎません。


「この人なんか嫌だなあ」って思うと、あの人のここがおかしい
い、ここがイヤだ、って言ってたくせに、何かのきっかけでその人のこと好きになると、そのことなんかどうでもよくなるものなのです。

全ては後付けなのです。

 

どんなに、あたかも正しそうに言っても、ゆるぎない事実であるかのように言ってても、一番下の土台に『好き』『嫌い』があって、すべてその土台の上にのっけてるだけなのです。

だから、土台が入れ替わると(「嫌い」が「好き」に変わる、または逆に変わると)全部崩れるのです。


 どんなに頑丈な建物を建てたとしても、土台が崩れたり地盤が緩んだらどうしようもありませんから。


よく何か物事で迷った時に、それぞれのメリットとデメリットを考えたりしますけど、それってつまり土台は無視して、建物の2階部分、3階部分をチェックしてるようなものなのです。

おそらくその土台というのは、

「好き」「嫌い」
とか
「なんとなくイイ」とか「なんとなく悪い」とかの直感

とか「縁」が有るとか無いとか

そういう曖昧で根拠のないものだったりすると思います。

それが、土台であり、それを建てる地盤なんだと思います。

 

「論理」とか「思考」とか「正誤」とか「損得」というのは建前であり、無理に上記の「土台」に後付けしたものに過ぎないものなんだと思います。


これによる後の理由付けによって、あたかも正しそうに見せることはいつでも出来るわけだから。

その後付けの正しさより、好き嫌いや

「なにか違うんだよよな」
「何でかわからないけど、違和感ある」

という感覚も大事にしてみるものが、実は最も最良の道なのかもしれません。

子供は何故反抗や非行に向かうのか?「プラスのストローク」と「マイナスのストローク」

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だいたいの答えは、結局これで落ち着きそうなんだが

 

 

子供には幸福になってほしいと思うのは、この世界のほとんどの親の願いでありましょう。

 

反抗期や非行はどのようにして起こるのでしょう?

子供がグレたり反抗期が酷かったりするのは様々な原因があるでしょうし、何かに気をつけていれば防げるというわけではありませんが、一つの考え方を書いてみようと思います。

 

参考 

子どもゴコロの心理学

 

人というのは、基本的に社会的動物の傾向が強いものです。

ですから、「自分の存在」や「自分の価値」を認めてもらいたいという欲求があります。

何故かと考えてみますと、

人は大昔から集団の中で生活していました。
集団の中で生きていくためには、また有利な立場を得るためには、自分の存在や価値を認めてもらう必要が出てきます。そうした過程でそのようになっていったのだと考えています。

 

★「プラスのストローク」と「マイナスのストローク」

心理学では人から人への行為のことを「ストローク」というそうです。

そして

「褒める」や「微笑みかけられる」などのぷじティブな言動のことを「プラスのストローク」

逆に「叱る」や「たたく」などのネガティブな言動のことを「マイナスのストローク」

と呼ばれます。

 

人間が生活していく上で、普通欲するのは もちろんプラスのストロークのほうでしょう。

でも、親の愛情不足など何らかの事情でプラスのストロークが不足していた場合
マイナスでもいいから欲しいと思うようになります。

普通に考えてみれば、マイナスのストロークなら無いほうがいいと考えるところなのですが、

先ほど書きましたように人には「存在価値を認められたい」という欲求が強い動物ですから、「存在」や「価値」を認められないことほど辛いことはありません。

 

よく「好き」の反対は「嫌い」でなく、「無関心」と言われたりしますが、そのとおりで、
自分に関心を持ってもらえず無視されたり、孤独感を味わうのは、何よりも辛く思うものなのです。

そうなると、たとえマイナスな反応、例えば「叱られる」でもかまわないから自分の方を見て欲しい。かまって欲しいと思うようになるのです。

 

よく思春期の男の子が好きな女の子に意地悪などしてちょっかいをだすのはこのような心理なのだと思います。

 

本当は相手に好かれたいのですが、その方法がわからなかったり、かまってもらえなかったりすると、相手に自分の存在をアピールするために嫌がることをして、マイナスのストロークでもいいから求めてしまうのです。

 

ここまで読んで頂くと、子供がグレたり非行に走ったりする理由がわかるのではないでしょうか。

 

子供は、存在を認めてもらいたい。自分の価値を認めてもらいたい。
出来ればプラスのストロークで褒められたいし、話しかけられたい微笑みかけられたいのですが、それが不足していると、なんとかしてこっちを向かせたいという思いから、乱暴な態度をとってしまったり、物を投げたり、拗ねたり、更に進むと非行に走ったりしてしまうのです。

 

人間にとって「無視」や「無関心」ほど辛いことはないのです。子供だったらなおさらです。

 

子供はグズったり拗ねたりしているときって、本能的に親の愛情を確認しています。

そういうときに、ゲームをやらせたり音楽を聞かせたりして大人しくさせる光景ってよく見ますけれど、出来るだけ子供に愛情を持ってかまってあげるようにしてあげましょう。

 

子供のなんらかの問題の原因によく「親の愛情不足」というキーワードが出てきますが、やはりこの非行問題もその一つであると言えるでしょう。

 

 

もちろんこれだけで説明がつくとは限りませんが、一つの参考にはなりそうだと思いまして書いてみました。 

 

 

あなたとあなたのお子様が幸せでありますように

苦手な人、嫌な人に釣られない腹を立てない方法を考えてみる

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辛くても、出されたものは喜んで食べるのがルール(´;ω;`)

 

 

 「あいつさえいなければ」
「あいつムカつく」

「目の上のたんこぶ」
「天敵」

 

人間生きていれば、そんな相手に出会ったりするものです。
「気にしない、気にしない♪」
「無視、無視!」と思いはするものの、そう考えれば考える程頭をよぎります。

更には憂鬱なときや、仕事や生活で何か上手く行かないときほど頭をよぎったりします。


「ああ、あいつさえいなかったら…」と思ったり、そこまでいかないとしても、「あの人苦手だなあ」

なんて人が何人かはいたりするのではないでしょうか?


これって忘れようとすると逆効果なのです。

何故かと言うと、例えば
「赤色のバナナを絶対に思い浮かべないでください」と言われたら、何を思い浮かべますか?

赤いバナナを思い浮かべてしまう方も多いのではないでしょうか?

眠れない時に「眠ろう眠ろう」とすればするほど目が冴えてくるというのも同様だと思います。

心理学的には何というか忘れましたけど、人は無視しようとしたり、気にしないようにしようとしたり、記憶から消そうとしたりすればする程、その相手が強調されてしまう傾向があるのです。

 

でも、実は心理学的以外に、もっと根本的な原因があるのです。

それは…

人類が誕生して間もない原始時代には、まだまだ人間には天敵が多く、もともと腕力の強弱で言えば、弱い部類の人類は、他の動物から身を守らねばなりませんでした。

「良い思い出ばかり思い出すポジティブ原始人」と、
「悪い思い出ばかり思い出すネガティブ原始人」がいたとしましょう。

さて、この2者ではどちらが生き残る確率が高いでしょうか?

ポジティブ思考の前者では、もし虎のような猛獣が近寄ってきたとしても
「足音が聞こえる…でもどうせまた猫かなんかだろう。大丈夫だろう。まだ眠いから寝てるか」
とか考えたりしがちなはずで、おそらく真っ先に殺されてしまうでしょう。

一方ネガティブ思考の後者なら、そのような足音が聞こえたら、万が一を考えとりあえずは大事をとってまずはそこを離れて、草むらや洞穴等に身を隠すでしょう。

 

上記は極端な例ですが、おそらく大昔には、臆病でネガティブな人間のほうが生き残る確率が高かったと推測出来るかと思います。

このようにして、ネガティブ思考人間は生き残り、ポジティブ思考の人間はほとんど死に絶えてしまったのかもしれません。

 

現代人は彼らの子孫ですので、ネガティブ主体の思考をするのはとても自然なことなのかもしれません。

 

このようなことを考えていくと、根本的に人間はネガティブな生き物と言っていいのかもしれません

ですから、ネガティブな記憶の方が、ポジティブな記憶よりずっとずっと印象深く感じるように出来ているのです。


ですから、嫌な相手や嫌な出来事が強調されるのはむしろ当然のことなのです。

このように考えると、このことは、防衛本能であることがわかります。

 

「防衛本能ウゼエ!!」と言いたいところですが、それはあなたを守ってくれているものなので、なかったらなかった困りそうです。

 

防衛本能を無視するわけにもいかないし、かと言ってあんな奴のことで悩むのはもうたくさん。では、どうしたらよいのでしょうか?

 

こう考えてみてはどうでしょうか。

その嫌な相手は、これから先にあなたが苦労するであろう課題を教えてくれているとも考えられます。


まあ、大昔なら、その相手に一思いに殺されてしまったかもしれませんがね。
でも、幸いにもあなたは生きています。

 

だとしたら、これから先に現れるであろう、もっともっと強い相手に備える為に、まずその相手の事を分析しておくと考えるのも一つの方法だと思います。

 

こう考えれば、その相手のことも憎んだりムカついたりする頻度が減るかもしれません。

 

そして何より言いたかったのは、このネガティブな感情は、あなたの敵ではなく、あなたを守ってくれているあなたの味方だということを忘れないで欲しいのです。

 

「俺は、どうしてこんなに悩まなきゃいけないんだ?」

「私は、どうしてこんなに悲しまなきゃいけないの?」

そう悩んだり、自分を責めそうになったときに、このあなたの中にいる力強い味方のことを思い出してあげて下さい。

 

これからも、あなたの笑い多き日が増えますように!

 

お読み頂き、ありがとうございました。 今日もあなたが幸せでありますように!