子供には「疑い」でなく「期待」を持って見続けること
「ショーシャンクの空に」という映画があるのだけれど、
「自分は無実なのに罪を着せられる」
というのは、決していい気分ではないだろう。
ましてや、刑務所に入れられてしまうとしたら、
そこまでいかなくても、冤罪とか何か無くなったとかで容疑者の一人になることくらいでも、いい気分ではないだろう。
刑務所に入れられてから、何年も経って無罪がわかり、釈放されたということが時々見るけれども、あれは本人の気持ちを考えると筆舌に尽くしがたいものがあります。
だからこそ、こういう映画がヒットするのだとも言えるのですが。
人間には間違いがあるのはわかっているが、あれを見てしまうと、証拠集めや検証や取り調べは十分に慎重にと考えてしまう。
何故こんなことを書いたかというと、
最近
「またあんたがやったんでしょ」
「あんたはろくなことしないんだから」
と母親が子供に叱っている現場を目撃したからです。
子供が何をやったのかはわからないし、いきさつは知らないのだけれども
これって子供にとっては、
「無実の罪」で逮捕されているようなものかもしれないな
と感じたのです。
確かに何か叱られるべきことをやって、当然その行動によっては叱ることはあるでしょう。
でも、子供が「悪意をもってやっている」と決めつけたり「子供の人格」を否定して、その前提で叱るのはどうなのかなと思ったのです。
叱るのは時には必要なこともあります。それは当然です。
でも「人格」や「性格」を否定はすることは望ましくありません。
関連記事⇨人の行動を「性格」としてでなく「状況」で見てあげよう
これは過去にも一度や二度聞いたわけではないので、けっこう使われている言葉なのかもしれないが、
これをやったら、逆ピグマリオン効果になってしまうかもなあと思いました。
関連記事⇨「ピグマリオン効果」について
子供に「あなたは素晴らしい子」と言えばそのとおりに育つし、
子供に、「あんたは駄目な子」と言えばそのように育つ確率は高い。
ショーシャンクに出てくるアンディがくじけなかったのは、凄いことだとおもうけれども、
もしアンディが子供だったらそうはいかなかったでしょう。
ご両親には、子供を「疑い」をもって見るのではなく、「期待」を持って見続けていて欲しいと願いたい。