笑い多き人生を送るブログ

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その「常識」って、いつの、誰の、常識?価値観はそのままでいい

イカやタコが好きな人は多いだろうが、
もし、ゴキブリを食べろと言われて食べられる人はなかなかいないだろう。


何故ゴキブリのことを嫌いな人が多いのか?


それは、「不潔」「害を与える」「見かけが気持ち悪い」


とかいろいろあるだろう。

 

何が言いたいのかというと、好みや価値観や善悪も、幼少時代の教育やしつけによって決められたにすぎないものだということである。

 

そして、それは将来も根深く宿るということだ。 

それをいきなり変えるということは難しい。

 

芋虫、タガメ、ゴキブリの仲間なども立派な食材とする国だってあるけれど、それをその国の人に薦められて、美味しく食べることなど難しいということだ。

 

 

ある国ではゲテモノだとしても、ある国では美味しいものとされるようなものはあるであろう。

イカやタコいくらや納豆などゲテモノ扱いの国だって多い。


だからと言って、それをおいしく食べろと言われても、出来ないであろう。

 

こうして食べ物に例えると、わかるのだけれど、とかく脳内の人の価値観や善悪というのは見えないだけになかなか把握することは難しい。


よく自己啓発本などを読んでみると、今までの習慣を変えろとかいてあるけれど、それが出来ればそんな本など始めから読まないわけで、


極論的になるが、新しい習慣にしろってことは、例えばゴキブリを美味しく食べろと言っているに等しいとも思える。

でもそんなことは、とても難しい。まあ出来ないであろう。

幼少時代から、嫌悪感があるものは、そうそうたやすく好きになったり、近寄ることでさえ難しい。

 

それは親を初め周りの価値観によって決まってしまう。

そうでなければ、例えばある国では誰もがイカやタコを食べられなかったり、ある国ではゴキブリの仲間が食用にされている理由は証明出来ないであろう。

 

食べ物が嫌いということは、克服しなくても問題にならないことは多いが、これが価値観や常識などという、ともすれば国や地域や会社によっては強制的に植え付けられる固定観念のようなものは、そのままだと問題になることが多いのはやっかいなことでもある。


ただ、そのことを罪悪感であったり、克服しようとしている人もまた多い気がするのである。


「ありのままで生きなさい」と言われる一方で、
「みんなやっている」という根拠だけで、「~はこうあるべき」「~くらいは常識」などといきなり押し付けてくる輩も多い。

 

その「みんな」とは具体的に誰かと聞くと「友人が数人言ってた」とか「テレビで専門家が言っていた」くらいの根拠だったりする。

「みんな」とは誰なのか?

「常識」とはいつ、どこの、誰が決めた常識か?

 

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例えば、今現在は、「戦争はやめるべき」などと言ったらむしろ常識人の部類であろうが、

 先の大戦中に、反戦を唱えた私などは、まわりから非国民扱いされるにとどまらず、牢に入れられ、ひどい目にあったものだった。

 

世間で言う「常識」なんてのは、割りとこの程度のものが案外多かったりする。

それに振り回されるのは、人生の無駄足とも言える。


自分が嫌いなもの、好きなものはそう簡単には変えられない。

人の価値観は簡単に変えられるものではない。

それを無理に変えようとするから、結局苦しむことになる。

その変える理由が、自分自身の為だって、どうしても自分の為に必要なことなら、克服する価値もあろうが、

それが他者のお勧めだったり、よく見られたいとかの他人のためだった場合はどうなのかとおもってしまう。


アルフレッドアドラーという心理学者が

「重要なことは、人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである。」
と言っているが、そういうことなのだと思う。

 

自分に無いものばかりに焦点をあてて、自分に既に与えられたものに対して不満を抱く必要はない。


人は新しい価値観によって、成長もしていくが、だからと言ってそれが全て役にたつ価値観とは限らない。

 

アドバイスは薬にもなり得るのだろうが、時には毒にもなり得るということも同時に心に留めておいて欲しいのだ。

 

もう一度自分の価値観を洗い出し、その価値観に沿って生き方を見なおしてみるのも一つの方法ではないだろうか。

 

 

お読み頂き、ありがとうございました。 今日もあなたが幸せでありますように!