幸福は義務 幸福にならねばならない理由 不幸は伝染る アランの幸福論
「アランの幸福論」というものがありまして、
本名は、エミール=オーギュスト・シャルティエ
高校の哲学教師だったが、アランの名でデペーシュ・ド・ルーアン紙に哲学コラムを寄稿し続け、「幸福のためのプロポ」という投稿を書き続け新聞社に送り続けついに採用されると
83歳で亡くなるまで執筆活動を行った。幸福についてのコラムをまとめた『アランの幸福論』はいまなお多くの愛読者を持つということです。
ラッセルやヒルティと並び、3大幸福論者と言われています。
さて、このアランの幸福論の一つに、
「幸福になることは義務である 」
というものがあります。
権利ではなく義務です。
そう言われると、もしましたら、
「幸福になりたいけど、なれないんだ、いろいろあるんだよ。しょうがないじゃないか」
「何で幸せになんてならなきゃいけないんだ?そんなの個人の勝手じゃないか」
「不幸だっていいじゃないか、人それぞれでかまわんだろうが!余計なお世話だ」
言いたくなる人もいるのではないでしょうか。
私も最初そう思いましたが、よくよく考えてみますと、頷けることがわかったのです。
何故かと言うと
例えば…
ここで、空気感染する重度な病気にかかった人がいたとしましょう。
そうしたら、その人は、治療を強く勧められることでしょう。
病気によっては強制的に隔離されたりする可能性だってありますよね。
なぜなら感染ってしまうからです。
ですから、この場合には
「治療するかどうかは、俺が決める。俺の勝手だろ」
というわけにはいけませんよね。
重度な病気ならなおさら当人がそう言ったとしても、周りは
「治すべきだ」
「うつされたら困るなあ」
と思うでしょう。
つまり、感染症にかかった人は、治さなければいけないという義務を背負うことになりますよね。
賢明なあなたなら、もうわかりましたでしょうか?
「幸福」と「不幸」というのはこれと同じなのです。
例えば、あなたの近くに不幸な人がいたとします。
その人が会う人会う人に対し
「俺は何をやってもダメな人間だ」
「人生は辛いことばかりだ。幸せなんてあるわけない。」
と言いまわっていたらどうでしょう?
おそらくあなたを含め、周りの人のテンションが下がってしまうことでしょう。
そんなこと言わないとしても、1人だけ沈んだ顔をしている人がいたら、それでもやはりその人のローテンションに引きづられてしまうことになるでしょう。
このように「不幸」というのは伝染するのです。
だから、「不幸」というのは治さなければいけないものなのです。
逆に「幸福」も伝染します。
周りの人を幸せにしたかったら、あなたも幸福にならねばならないのですよ。
そして、それは、「権利」でなく「自由」でもなく、それより先にある「義務」なのです。
アランの幸福論の一つなのですが、この考え方って重要だと思いませんか?
一見「義務」と考えることは押し付けがましいかもしれません。
でも、そう考えると社会全体から、後押しされて幸せに向かって進めていけると思いませんか?
「あなたは幸福になる義務がある」のです。