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「自分を好き」「自分を大切」の誤解とは?ありのままの自分を認めること、ありのままの自分を受け止めること

 

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中止しようか、それとも無視か…う~ん(´ε`;)

 

 


「自分を好きになる」「自分を認める」「自分を大切にする」

なんて言葉が、電車の中吊り広告や雑誌の表紙で見かけることがありました。

 

ありのままの自分を認めたり、好きになるということは確かに大事なことでしょう。

ただ、これが、誤って解釈されているように感じることがあります。

 

もちろん私が正しく理解しているとは言えないのだけれど 

「自分を好きになる」「自分を大切にする」

ということは、他人の気持ちを無視していいということではないと思うのです。

 

「自分が大切」=他人の気持ちは考えない。
また、=他人への感謝する必要はない。

と他人を軽視せよというわけではないと思うのです。

 


人に嫌な思いをさせたり、犠牲を強いるようなふるまいをしても、
「自分さえ良ければそれでいい」
「自分のペースで、好きなこと、やりたいことをやればいい」


というふうに

「自由に生きる」
「自分が好き」
ということを履き違えている人が多いように思うのです。

これは自分を愛することでも、大切にすることでもありません。


「自分の欲求だけ叶えたいけど、他のことはどうでもいい」
というのは一般に生まれてから3歳児までに体験することです。

 

本当は、そこで卒業しなくてはならないのですが、ありのままの自分をそこで認めてもらえてない子供は、(例えばどこぞのbe_noriとかいう愚か者ブロガーのように)そこから進まなくなってしまうのです。

 

 

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見かけは成長!?しても、中身はなかなか変われないものだ

 

 

体は大人になっても、心が幼児期のままであまり進んでいないということです。

これは、そこで満たせなかった「もらえてないから欲しい」という欠乏感から生まれます。


一般に自己肯定感が育っていくと、それに比例し自分が満たされているので
心がよりおだやかに、人に対して寛容になってくるのが普通です。
そういう人は行動の原点が
「欲しい」というところから、「与えたい」に変化していきます。

 

でも欠乏してる人は、「欲しい!」のまま育っていきます。

実はこの違いは大きいのです。


人の気持ちがわからない無神経な人の多くは、この幼児期の信念を無意識に持ち続けます。


「自分勝手」「わがまま」「無神経」「自己中」「他人に気を使えない」
幼少時代は人なら誰しもこんなところはたくさんあるものです。

 

でもその時期に、これを十分に理解してもらえないと、愛されていないと大人になっても続けてしまうのです。

「もっと俺を、私を理解して!」「私をかまって」
と、それを継続してしまう。

子供の頃は幼い発言をすればするほど、周りに可愛がられるものです。

それを潜在的に覚えていて、大人になっても無意識にその行為を続けてしまうわけです。

精神はその当時の子供でいたいわけですから、他人を思いやる気持ちなどなかなか持てなくなってしまいます。


「欲しい」「自分の為に~してくれ」が当たり前なので、他人の身になってなんてことはなかなか出来ません。

この行為を「自分を愛する」とか「自分を尊重する」とか「自分を認める」
ということと思い込んでしまう。

私の推測ですが、これが最近にありがちな「自己愛」「自己中」と「自己認識」「自己容認」の混同を呼んでいるのかもしれません。

 

では、自分のことを真に認め受け止めるにはどうしたらいいのでしょうか?


人の感情には、喜び、笑い、安心感、などのポジティブなものと同時に
悲しみ、怒り、不安などのネガティブなものも含まれます。。

そのうちのネガティブなものは否定したり、認めたくないのは人情かもしれませんね。
少なくとも私はそうでした。

でも、これを否定したり、見ないように避けていると、逆にそれが大きく浮き出てくることにもなるのです。

例として
親に、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と言われると、急に遊びたくなったりしたことはありませんでしたか?
また、ダイエットや虫歯や健康を気にして「甘いものを我慢しよう」と思った瞬間から甘いものばかり気になり出したとか…

あんな感じかもしれません。

否定しよう、無視しようとすればするほど
かえって強い思いになっていくわけです。


好きなところと共に自分で嫌だと思っているところも自分です。

みっともない、惨め、恥ずかしい
と思っている自分も含めて
ありのままの自分なのです。

 

例えば…

「俺、本当は自信がないんだ」
「俺、話が下手なんだ」
「ほんとは人に嫌われるのは怖いんだ」
「無視されて悲しかった」
「本当はみんなからかまってもらいたいんだ」
「本当は将来が不安なんだ」
「本当は、みんなにわかってもらいたい。理解してもらいたい」
「辛い時は男でも本当は泣きたい」
「友達に嫌われたりしたくないんだ」
「一人ぼっちになりたくないんだ」
「本当は子供の時に、家族にもっと優しくしてもらいたかった」
「子供の頃もっとみんなに甘えたかった、わかってもらいたかった、認めて欲しかった」
「頑張ってないように見せてるけど、本当は頑張ってるんだ」
「わかってもらいたい」
「怖い」
「悲しい」

 

 例えばこんなこと…

人によっていろいろあるでしょう。


これを自分に語りかけてみましょう。

紙に書き出してもいいでしょう。

ありのままの自分を

みっともないかもしれない。恥ずかしいかもしれない。認めたくないかもしれない。
惨めな気持ちになるかもしれない。

「自分はなんでこんなにつまらない人間なんだ!」と叫びたくなるかもしれない…

こんな自分は嫌!と思ってしまうかもしれません。

 

でも…でも…

待って欲しい。 

この感情は実は敵ではないのですよ。ネガティブなことでもないのですよ。

 

確かにこれって一見するとネガティブな気持ちですが、

でもそれがあったからこそ、あなたは今まで安全を確保し守られ、厳しい世間の荒波の中を生き抜けてきたのです。

 

そうです。賢明なあなたならもう薄々気付いているでしょう。
実は、このネガティブな感情は、決して敵ではなかったのです

むしろ味方であって、あなたをずっと守ってきたのですよ。

 

いわばあなたを守るガードマンだったのです。

ただ、普通より優秀で屈強なガードマンを過剰に雇いすぎただけです。


あなたが、それに気付いたら、あなたのすることは、最低限のセキュリティは確保するとしても、
その屈強なガードマンにお礼をして、しばらく休暇を与えてあげましょう。

あなたはもうガードマンがいなくても、自分で守れますよね?


あなたがそのガードマンに手を振って、笑ってお別れが出来たなら、この話は終わりです。

 

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その先には、本当のあなたを受け入れている自分がいることでしょう。

 

そうなれば、もうしめたものです。

本当のあなたが、本当の心で、本当の自分の足で歩んでいることでしょう。

 

本当の、ありのままの自分を大切に! 

 

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お読み頂き、ありがとうございました。 今日もあなたが幸せでありますように!