他人の不幸は自分の幸福になるのか?相対的な価値観から、自分の価値観へ
自分が正しいと信じて、他人を批判したことは、
大抵の場合、結局は自分にとってマイナスになりがちです。
例えば、あなたの嫌いな国があったとして、その国に大地震が起きたら、日本は豊かになるでしょうか?
同様に
公務員の特権を剥奪したら、あなたの懐が潤うでしょうか?
政府関係の高い給料を批判したら、あなたの給料が増えるでしょうか?
まあ、そんなことあり得ませんよね。
おそらく、相手もあなたも双方貧しくなるでしょう。
他人に不利益を与えたからといって、自分が利益を得ることはないのです。
そんなことは冷静に考えればわかるはずなのですけれど…
私達は他人の幸福を妬んだり、隣人の不幸を喜んだりしがちです。
例えば、人の不幸を扱うワイドショーには飛びつきがちですし、
嫌いな相手が損をすると、自分が得をする以上に喜びがちです。
なぜ?
その理由は、人間の幸福の概念にありそうです。
私達人間は、絶対的基準で物事を見ることができないものなのです。
誰しも、多数の物事の相対的な比較で、上下や優劣を判断しています。
年収300万円で、周りが債務者だらけなら、幸せを感じがちです。
年収600万円で、周りが医者や弁護士なら、不幸を感じがちです。
また、他人との比較が気にならない人でも、昔に成績優秀だったり、スポーツでよい結果を残した人は、過去のそれと比較して現在の不甲斐ない自分に悩む傾向があります。
逆に病気で長年苦しんでいた人は、平凡な生活でも幸せを感じることが出来る傾向があります。
私達の感情というのは、常に相対的です。
相対的ですから、自分の得と、他人の損の比較が出来ないのです。
だから、自分に利益がなくても、他人に損害を与えようとする傾向があるのです。
自分が損害を受けても、隣人がもっと大きな損害を受ければ、それでいいのでしょうか?
賢明なあなたはそうは思いませんよね?
いいじゃないですか、他人が少々インチキをしたって。
それが自分の被害にならないのなら、ほっとけばいいのですよ。
そのインチキして儲けた人は寛容になるので、もしかしたら、あなたにも奢ってくれるかもしれませんよ。
他人の不幸を願うよりも、自分の幸福の為に行動するほうが、よっぽど建設的です。
不満を言って、体力と時間を浪費するよりも、
自分の為に努力して、自分の成果を上げたほうがいいに決まっていると思いませんか。
もし今の自分が過去の自分よりも劣っていたとしても、気にすることはありません。
まだまだ時間はあります。
一度できたことなら、もう一度できますし、それ以上を目指せるはずでしょう?
悲嘆にくれる気持ちは、簡単に捨てられるものじゃないだろうけど、それをちょっと抑えて、もう一度挑戦してみましょうよ。
きっと道は開けるはず。
人には無限の可能性があるといいますが
小さい無限も大きい無限も、同じ無限であって
無限と無限を比較することなんて、もともと出来ないのですよ。
あなたは最初から、全ては必要かつ十分であり、だれとも比較する必要などなかったのです。
相対比較の価値観から抜け出し、自分の求める道を進めばいい。
幸福というのは、周囲との比較や周囲の環境に依存するものではありませんし、ましてや、他人を不幸にして得るものでもないのです。
あなたが周りとの比較に依存しない、本当の幸せを見つけられますように。