「ギブ アンド テイク」 から 「ギブ アンド ギブ」 へ 与えたものの価値は自分が決める
ギブアンドギブの達人!?
「ギブアンドテイクが難しい理由」という記事を過去に書いたのですが
それより更に上の次元の
見返りを求めずに「人に何かを与える」という「ギブ アンド ギブ」というものがあります。
これが、素晴らしい考えであるということに異論はありません。
普段はテイクアンドテイクばかり考えている貪欲な 私だって、
ブログを書くときだけは、いつも「人を幸せにしたい」「人を笑わせたい」と考えています。
もし時間的にも金銭的にも腐るほど余裕があって、人助けを趣味に出来たらなんと楽しいことかなどと考えていることもあります。
でも現実の生活では、見返りが期待できない仕事はやる気が出ないし、やって無駄になりそうなことはやりたくない。
人とはそうなりがちです。
「他人を助けても、この人が後で助けてくれるとも限らない」
「一生懸命仕事をやっても、その分給料に反映されるわけじゃない」
「募金箱にお金を入れたって、そのぶん世界が良くなるわけじゃない」
こんなことを毎日のように考えている海豹仙人という奉仕のかけらもない貪欲で愚かなブロガーを私は知っていますが、心優しいあなたでも時々はこう考えてしまったことがあるのではないでしょうか?
そりゃあまあ 「ギブ アンド テイク」より「ギブ アンド ギブ」のほうが優れた考え方なのは、異論はありませんが、それを実行するのにはなかなか難しいものです。
ハードルを高くしているものは何かと考えると、おそらくは「損をしたくない」という気持ちだと思います。
あとは、何か親切なことをやると、かえってお節介にならないかとか。
これも「誤解される損」「恥をかくかも」という損を避けるということですから同じことですね。
でも、現実の世界では、自分が相手に何か良かれと思ってした行為に対しては、それに見合った見返りを求めてしまうのが人情というものでしょう。
また、行為や品物の見返りはいらないが、「ありがとう」の一言でもあれば十分嬉しいという優しい方だとしても、無視されたり「余計なお世話だ!」なんて言われたりすると、いい気分はしないでしょう。
もっとも「ありがとう」や「好意が欲しい」というのも立派な見返りと考えることも出来ますね。
こうしてみると、「ギブ アンド ギブ」なぞ実行には程遠い、机上の理想論に思えてきます。
しかし、冷静に考えてみると…
意外に、見返りや報酬というものにこだわってしまうほうが無駄だと思ったことはないでしょうか?
例えば、未払金の回収などは、それを払って貰う為に行動した労力や時間を考えると全く見合わないことだって多いのですよ。
例えばお金の例を挙げますと、
日本のサラリーマンの平均年収が414万円で、平均有給取得数が12日だそうです。週休二日、一日の労働時間8時間だとして、時給を計算してみると
(365-12)*5/7*8時間=2017時間
414万円/2017時間=2052円/時
約時給2000円となりましたので、例えば一時間かけて、500円の代金を回収してたら1500円の大損なのですよ。
そんなものをいちいち回収している暇があるなら、誰かにコーヒーでも奢ってあげたりしてたほうが、遥かに建設的で効率が良いことがわかるでしょう。
そもそも
「この報酬は俺の労力と同等だったのか?」などと、いちいち考えていたら面倒だし、その結果、見合わないものだと判明したら更に疲れてしまったことはありませんか?
「自分のそれに使った労力」と「手に入った報酬」を比べて、きっちり見合ってるかなどと考えていたら…精神が疲弊する上に無駄な時間が過ぎていってしまいます。
そんな疲れてまで見返りを気にしている時間があるのなら、その時間にひたすら自分の趣味や好きなことをやったほうがずっと建設的だし楽しいのではないでしょうか?
それに、そんなの考えて悩むくらいなら、どんどん奢ってしまったり、サービスしまくってしまったほうが、面倒はないし悩みもないし遥かにいいと思いませんか?
それでも…
あなたが自分の行動に対し見返りを求めるというのなら…
仮に、あなたの報酬が自分の労働と釣り合ってなかったとしましょう。
それだと、あなたのその行動には、「その報酬以下の価値しかない」ということになってしまうことにならないでしょうか?
見返りを求めるというのは、「あなたの労力」と「それの報酬」をシーソーに乗せて釣り合ってるかどうか、それを確認する作業なわけです。
でもその報酬は、あなたでなく他人の決めたものです。
その他人の決めたもので、あなたのしたことの価値を決めてしまうなんて、そんなのつまらないと思いませんか?
見返りがなかったらと言って、あなたのその行動の価値がゼロになってしまうのですか?
そんなことはありませんよね?
相手に点数をつけてもらうなんてことは、学生時代までで終わったはずです。
だから、シーソーに乗せて、重さを比べる面倒さに加え、こんなにつまらない、「ギブアンド テイク」なんてやめてしまったほうがいいと思うのですよ。
「ギブ アンド ギブ」には、他人がどう思ってくれたかとかいう概念はありません。
必要なのは、自分の意思、行動だけです。
行動の価値を決定する権限も、自分自身だけが持っています。
自分が信じたものを、自分でいいと思った価値のあることを、「自分があげたい!」と思った人に、好きなときに好きなだけ与えることが出来るのが「ギブ アンド ギブ」なのです。
他人がどうこうに関係なく。
それをしてあげたからと言って、喜ぶかどうかもわからない。「いらない」と突き返されるかもしれない。見返りもないかもしれない。
でも、そんなのどうでもいいじゃないですか?
ちょっとは考えたほうがよかったり…
自分で納得して、自分で価値のあると信じていることをやれただけで、それで十分じゃないですか?
自分の価値や気持ちを、わざわざ他人の反応や報酬に依存しなくてもいいじゃないですか。
あなたの親切の価値の点数はあなたが決めればいいんですよ。
だって、あなたの「ギブ」はいつだって満点なのですからね。
もちろん、喜んでくれるに越したことはないけれど、でもいらないと言われたり、喜ばれなかったり、見返りがなかったところで、価値自体には何の関係ありません。
自分の行動の価値は、あなたの決めたままの価値なのですから。
その価値に他人の評価や意志は全く関係はないのです。
他人の意志や評価でなく、
あなたの信じる価値を、
あなた自身の思うままに、
あげたい人に、あげたいものを捧げてみましょう。
そのプレゼントは、いつ何時でも、これから先もずっと、あなたにとっていつも最高点の価値があるのです。
あなたも、そんな「ギブ アンド ギブ」を実行してみませんか?