人生の目的 あなたが生きる意味、目的はなんぞや?
「君が生きる意味や目的を、世界に問いかけたり、期待するのは間違っている。
世界こそが君にそれを問いかけ、そして、期待しているのだ」
ヴィクトール・フランクル
[人生の目的はなんですか?]
[なぜ生きるのですか?]
[何のために生きればいいのか?]
そんなことを、誰でも一度は考えたことはあるでしょう。
その答えは、人によって様々でしょう。
例えば…
・人生とは、ただの夢であり幻である。
・人生とは、ただの暇つぶしであり、食べてクソして寝るだけのものである。
・人生とは、壮大なゲームであり、いかに楽しむかである。
・人生とは、勝負であり、壮大なギャンブルである。
・人生とは、神から使命を与えられ、その使命を全うすることである。
他にもいろいろあるでしょう。
人は、他人や本、外部からの情報などから、「人生の意味」を求めたりしがちです。
「人生の意味はなんぞや?」と
でも、その答えを求める前に、あなたに伝えたいことがあるのです。
それは、
「その質問は、本来あなたが外部に向けてするものでない」
ということ。
「何のために生きるのか?」
と、あなたは外部に向けて問いかけていますが、その質問は本来あなたがするべきものではないのです。
本当は、この外界のほうが、「お前は何のために生きてるのだ?」
と問いかけ、世界のほうがあなたの答えを待っているのです。
あなたは、
「世界(例えば神様や仏様)は、正しい答えを知っているに違いない」
と思い込んでいますが、実は、天も神様も仏様も、実は何も知らないのです。
あなたの人生が何なのかを、何も知らない。
だから、あなたの方を向いて、あなたの答えを待っているのですよ。
「なあ、お前の生きる目的って何なんだよ?」
と時々聞いたりしながら。
あなたは、質問者ではなく、回答者なのです。
質問コーナーに寄せられた手紙を読みながら、視聴者に向けて質問をしていたらおかしいと思いませんか?
授業でわからないところがあって、先生に聞きに行ったら、「先生わからないから、お前に聞いていいか?」と質問をし返されたらおかしいですよね?
回答者なのに、その解答を、他人に委ねるのは、おかしいと思いませんか?
何か正しい答えがあるはずだと、使命があるはずだと、人は外部に答えを求めてしまいがちです。
何か揺るぎない答えがあって、そこに向かって生きていかねばと…
でも、実は「既に定められた使命がある」なんてことはないのです。
神様や仏様が、あなたに決められた使命を与えてくれるというのは、実はただの妄想に過ぎません。
それを行動のモチベーションにするというなら、わからなくもないですが。
でも、現実のこの世界では、人生というものを定義する権限を持っているのは外界ではありません。
その権限を持っているのは、他でもないあなたであり、あなた以外に答えられるものではなく、決定出来るものではないのです。
この世界は、いつもあなたに問いかけているのです。
「お前の人生の意味を、目的を教えてくれ」
と。
そして、それに答えることができるのは、他でもないあなただけなのです。
何のために生きるのか?
いつか、世界に答えてあげてください。
世界は、あなたの答えをいつでも待っています。