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笑い多き人生を送るブログ

大切なのは、あなたが笑うこと

毒親 親なのに子供を憎み不幸を願ってしまう理由

『白雪姫』の継母は、原作では実母だったそうです。
さすがにそれでは読み物としてはまずいということで、継母にすり替えられたようなのです。

「実の母なら、そんなことするわけがない。物語だけの話しだよ」という人もいるかと思います。

以前に書いたのですが

「あなたの母親は幸福でしたか?」と聞かれて

「母は幸福でした」か「母は不幸でした」

どちらを答えるかが、その人の幸福の分岐点になるようです。

 

おそらく「母は幸福でした」と答えられる方にとっては、「実母が子の不幸を願う」

なんてことは考えられないことと思います。

なので、この先は読む必要はないことでしょう。

閲覧有り難うございました。

 

 

しかし
「母は、不幸だった」
という方はどうだったでしょう?

前にも書いたのですが、あるカウンセラーの元に訪ねる患者さんの9割以上は、母親が幸福ではなかったと答えるそうです。
ちなみに父親がどうだったかはあまり影響しないと言っていました。


・「母に、父親又は兄の悪口ばかり聞かされた」
・「母は、私が何かで、怪我したり、失敗したり、受験に落ちたりすると薄笑いを浮かべた」
・「母は、父親の失敗や兄の失敗を楽しそうに話していた」
・「母は、隣人や親類(特に父方系)が不幸があると水を得た魚のようだった」

・「母は、「子供の頃に親や兄弟にひどい扱い受けた、私は不幸だ」とよく言っていた」

なんてこともあるようです。

そこまで行ってしまうと、白雪姫の母親のように、無意識に子供が幸福にならないように邪魔してしまう場合もあるようです。


ユング心理学では人の無意識に存在する心理的イメージを元型と呼んでいますが、その中にシャドウ(影)というのがあります。

これは自分が選ばなかったもう一つの選択であったり、自分が認めたくない自分自身の心的部分であったりで、それはまさにその人個人の影の部分にあたるといわれています。

本人がよくないと思い、改めてきた自分の中の負の部分ということになりますが、時に他人の中にそれと似た部分を見つけると、その相手に自己投影してしまい、嫌悪するということが起こり得ます。

親子であれば、子供は当然、親の遺伝子を受け継いで生まれてきます。子供が親の先天的な気質を受け継いでいることは珍しくなく、それがたまたま親が自らの負の部分と感じているものであったりすると、複雑な感情を抱くことはあり得るだろうと思います。


勿論、それは親子であれば自然なことなのですが、母親にとっては自分が苦労して克服してきた負の部分を子供から見せつけられているような気がするのです。

母親が攻撃しているのは子供ではなく、母親のシャドウということになるだろうと思います。

ですから、子供には非は全くありません。それはあくまで母親の精神的な問題であって、彼女自身が克服すべき個人的な問題です。それに子供が巻き込まれてしまったということになります。

シャドウと向き合い、統合することで人間は精神的に成長するとも言われていますが、母親は現時点でまだそれができていない場合に、白雪姫のようなことが起こりえるのかもしれません。

 

そういう母親というのは、文句を言える対象は、えてして弱者であり、自分の子供が格好の標的となり得る気がします。誰にでもぶつけられるのだったら、自分の子供にはぶつけないでしょうからね。ぶつけられる相手が自分の子供しかいないのですから当然なのかもしれません。

父親を始め、子供以外の人間に対しては、全く不平や文句を言わないどころか、いい母親ぶりを演じます。

ですから、もし子供が父親に助けを求めて、相談したところで、父親は「何かの聞き違えたのでは?」とか「お母さんがそんなこと言うわけないじゃないか」「夢でも見たのか?」と逆に怒られてしまうかもしれません。

 

小さい頃は、親の言うことが全て正しいと思いがちなので、このようにしてますます泥沼に嵌っていまう可能性があり得ます。

 たいていは、その母親のまた母親も同じような境遇だった場合が多いようです。

 

その対象は、まず第一子の長兄なのでしょうが、それが大きくなってぶつけられなくなれば、次男へというふうになっていくなんてことも。

当然兄のほうも、親を少なからず引き継ぎ、弟に見える自分のシャドウに対して攻撃を開始します。兄もやはり幼少時代に母親に攻撃を受けた可能性が高いので、それを弟に向けるというのもあるでしょう。

 

これもほとんどが兄のせいではないのですが、弟にはそう感じがちです。

兄にいじめられたところでそのような母親は見て見ぬふりをし、弟を助けることはしません。

そのことが発覚したら、「お前の管理がなってない」と父親に怒られますからね。

 

やがて、成長してしばらく経った頃にやっと「あれは毒親だったのか」と気付くことになるわけです。

 

気付けども、時は既に遅し、そこで両親に文句を言っても始まりません。

おそらく父親に言っても、信じてくれることはないでしょう。

 

かといって忘れようと思っても、潜在意識にはしっかり染み付いていますから、そう簡単には忘れることはありません。

フロイトを始めたいていの心理学者の言う、幼少期のトラウマが影響を与えることは私は当たっていると思います。

 

重度の場合は、まずは、なるべくその親と接する機会を減らすことです。

話し合って解決などまず無理ですし、むしろこじれます。

まず出来ることは、一緒に住んでいるならば、なるべく遠くに早く引っ越すべきでしょう。

 

「なんで子供なのにこんな仕打ちに遭わなきゃいけないの?」と思うかもしれません。

でも、母親も兄弟も犠牲者だということです。

母親の母、そしてその母の母親もそして…というふうにずっと続いていると思われます。

母親に罪はありません。

それに「子供を愛していないわけではない」ということだけはわかってあげたい。

ただ、「愛情」というものを知らないので愛したくても愛し方がわからない、理解できないだけのです。だって親に愛されていなかったのですから。兄にも罪はない。やはり母親に愛情を教わっていないのだから。

そこだけはわかってあげましょう。

 

 大切なことは、

もしあなたがこれにあてはまる場合には、あなた自身がこれを断ち切ること

そして、更には自分の子供のことを知らず知らずのうちに不幸を植え付けてしまう可能性が高いので、これを断ち切らなければいけないのです。

勿論、これは一つの可能性ですから、これが正しいかどうかは専門家の判断を仰ぐ必要はあるかと思いますが、あてはまると思える部分があれば、参考になさってみてください。 

 

 関連記事→愛されようとしなくていい 何か成しえようとしなくていい 人は初めから 愛されている - 笑い多き人生を送るブログ

 

関連記事→肯定感と安心感を無意識に持つ条件 - 笑い多き人生を送るブログ

 

  

 

以下は余談ですので参考にはならないと思いますが、一つの例として書いておきました。

上の方の5つの例は、体験談だったりもします。

実は私の場合は、最初のうちは、兄が全ての原因だと思っていました。

私は、兄に暴力を多く受けたので心に強めに残ったのかもしれません。

家に誰もいなくなるのを見計らい、私のことを壁に顔ごと蹴り飛ばされたりよくされたのですが、耳が壁に当たり、今でも変形したままでして、

電話したりヘッドホンをしたりすると、今でも激しい痛みが襲います。

いつか絶対復讐しようと思った時期もありましたし、それこそ殺そうかと考えたこともありました。

後に兄に聞いてみたところ、私に暴力を振るったことは記憶にないそうです。

あれだけ毎日虐待しておいて記憶にないとはとも思いましたし

「同じことやれば思い出すかい」とばかり殴ってやろうかと思いましたよ。

必死に衝動を抑えました。

無意識に親を少なからず引き継ぎ、弟に見える自分のシャドウに対して攻撃をしたということなのでしょう。

どこかの本に書いてあった「加害者とは元被害者である」という言葉。

もとはといえば、母が原因であるわけですから、兄も被害者だと言い聞かせました。

 

思えば、母も、自分の兄弟の悪口がたえませんでしたから、それも影響しているのかもしれません。

 

母は毎日のように

「父に酷いこと言われた」

「兄が酷いことを言った」

「親戚は私に酷いことをした、言った」

「祖母が私をいじめた」

「PTAの人がみんな私をいじめる」

「隣の○○さんが酷いことを言った」

兄の授業参観に行けば、父兄全員にいじめられたと言い

 そんなことを、毎日のように言っていたので

そんな母を、当時まだ物心がつくかつかないかの時期でしたので、私は「母は凄く可哀想で苦労して大変なんだ、なんて可哀想なんだろう、せめて俺が最大限味方になってあげよう」「この世の中は酷い人ばかりなんだ」と思い込んでいましたので、何かあればとことん聞いて慰めてあげてました。

幼少期は、母の言うことが絶対の常識、価値観になってしまうのが今ではよくわかります。

そして、そんな酷いことをする(と母が思い込んでいた)父も兄も祖母も隣人も父兄も全員極悪人だと思っていました。

ですが、中学生あたりのときに私もさすがに、母がおかしいのではないかと感じ始めました。

 

決定的におかしいと思ったのは、寝たきりの祖母に対しかなり陰湿な対応をしていました時です。

寝たきりで、お漏らしをした祖母に笑い続け

「おばあちゃん、おしっこトイレで出来ないの?ハハハ」と…しばらく笑いこけている母を何度も見た時にはっきり気付きました。

起こしてもあげなかった。さすがにそれは酷いと思いました。

母にもっとちゃんとしてあげたらと言ったら、「じゃあお前がやるかい?お前に何がわかるんだ、私は大変なんだ」と鬼の形相で睨まれました。今もすぐ思い出せるくらいに…

ただし、父がいるときは、母は祖母を丁寧に扱ってました。

他にも、母が悪人だと言っている親戚の言動を見ても至ってふつうでしたし、むしろ親切な人でした。

 

母は、実際には特に酷いこととなど言われていなかったのです。

母の「悪人」の定義は、ただ単に

「一度でも母に反対したり、母の思い通りに動かないことがあったりした人間」

だったのです。

この定義だと悪人でない人はごくわずかになってしまいます。

 

母に限らず、例えば100回中、99回優しくされても、1回でも気に障ることを言われたらそればかり覚えていて恨むようなタイプの人には注意せねばなりません。

というか、関わるべきではありません。

それが親だとしても、なるべく距離を置いたほうがいい。

 

私は毎日毎日家族や親戚の悪口を言い続ける母にうんざりして、

ある日

「母さん、それは俺に言わないで、本人に直接言いなよ」

と言うと、「あんたに私の気持ちがわかってたまるか」

と烈火のごとく、今でも記憶に残っているくらい睨つけられ、泣きながら私に怒り続けるのでした。

 

それでも続くので、私はが母に代わって父や兄に

「お母さんがこう言ってるからもう、酷いことするなよ」

と言ったことがありました。

 

それを見た母が、

「それは〇〇(私の名前)が勘違いしてるの。私はそんなこと言ってない」

と父と兄に言ったのです。

そして、私が一人の時に

「何であんなこと言うの、お母さん困るじゃないの」

と怒られました。

なので、私はまた

「母さん、これからは、俺に言わないで、本人に直接言いなよ」

と言ったら、

「あんたに私の気持ちがわかってたまるか、子供にわかってたまるか。私は出て行く」

と言って、家を出ようとするので、

「わかったよ。俺が悪かったよ、ごめんなさい」

と謝るという、そんなことがしばらく続いたのでした。

 

だから、私は母と話す機会をなるだけ減らそうと努めました。

とにかく早く家を離れたくて、受験中もこのような状態でしたし、早く家から出たい一心で、地元の大学はいっさい受けないようにしていたので、家を出ることが出来ました。

 

その後の帰省は、なるだけしないようにして、規制する時はなるだけ母とは話さないように努めましたが、家で私だけになると、相変わらず、父や兄や親戚の悪口を言っているのでした。

推測ですが、私のいないところでは、私の悪口を言っているのかもしれないとさえ思ってしまいますね。

いろいろ書いてしまいました。

母の悪口は何回も聞かされたので、残念ながら今でも頭に残っています。忘れようとしても忘れられないのです。

 

母が悪口を言っていた「父」「兄」「親戚」「隣人」「母のその他の知り合い」

が全て極悪人として、心に染み付いていたのです。

今でも一部を書こうとしたら、気付いたらこんなに書いてますですものね。

 

子供の前で、よっぽどのこと以外は影口など言ってはいけません。

必ず後で影響が出ますからね。

たとえ、母がおかしいと気づいたとしても、そう簡単にはそのイメージは抜けません。

当時は、世の中の殆どの人が悪人に見えましたから。

思えば母は、会う人、会う人のことの悪口をその人が去ると、私に言ってましたからね

人は影口を必ず言うもんだと思っていましたし

母の定義だと、良い人=「自分の話すことを何も言わずに機嫌よく同意して聞いてくれる人」

それ以外は悪い人

という定義ですから、そりゃあ世の中のほとんどが悪人になってしまいますよね。

神のような人格者でも、100回話せば1回くらいは反対したりするものでしょうから。

 

まあ、そんなわけで「ネガティブさ」「被害妄想」「人間不信」の私は

思えば孤独でつまらない人生をしばらく歩むことになります。

 

そのストレスからか、いつしか狭心症(虚血性疾患)にかかり、ほぼ死にはぐりましたが、死には恐れを抱いている自分がわかり、

自分はまだ生きたいんだとわかり、新しい家族もいましたし、

それを機に自分自身と向き合わねばならないと思いました。

 

私なりにいろいろ心理学やカウンセリング、脳科学などの勉強の後

「原因は母親だったんだ」ということがわかってきました。

母は、私が大人になっても、兄の奥さんや父方の親類全般の悪口を言ったり、不幸があると楽しそうに話すのは相変わらずですね。その本人の前ではニコニコしているのですが、いなくなると兄や弟の奥さんに対しての影口も辛辣です。

 

母が、祖母(父の母)の死について語ったのだが(母によれば父の希望により延命治療を選択したが失敗したらしい)父による母の延命選択したことや、それが裏目に出たこと、祖母が死に至る様子をさも楽しそうに話したときもありました。

「それ外で言わないほうがいいよ」と母に対し注意しました。ですが、案の定、母は逆ギレしました。

もっとも、そのことを父や兄に言ったせよ、私の妄想だということになるので

ちょっとやるせない思いがあった時もありますが、今は割り切ることにしています。

 

木で言えば、葉や枝はわかりやすいけれども、根の部分はなかなか見えてこないのということです。 

 

兄も母親の犠牲者であり、母親もまたその母親の犠牲者だったわけです。

 

しかし、それを頭ではわかっても、心(潜在意識)にこびりついたものはなかなか抜けきるには難しいし、時間もかかりがちです。

実際ゼロにするのはまず不可能でしょう。

例えば、ゴキブリや害虫って掴める人ってなかなかいないですよね?

国によっては食用にしているところもあるくらいなのに、私達日本人は触ることだって難しい。

それは、何故かというと、子供の頃に「ゴキブリは害虫であり不潔なもの」と教わったからなんですね。

それを何度も言われているから、脳に「ゴキブリ→害虫、汚い」と刻み込まれ、触れなくなっているのです。

もし仮に新種のエビがあの形をしていたら、いくら美味しくて、衛生的に安全だと言っても食べられないことでしょう。

世の偉人は「罪を憎んで人を憎まず」といいますが

そんな偉人でもゴキブリの形をしたものは好きになるのは、ましてや食べることなどは難しいのではないでしょうか。

「ゴキブリは害虫」と幼少時に定義してしまったら、それを覆すのは難しいことなのです。

 

話が反れましたね。

いつの間にか、いろいろ書きましたところをみると、私はまだまだこの問題に向きあえていないかもしれませんね。

 

あなたも、お子様がいるなら、

人の悪口は必要以上に言わないことをおすすめします。

とくに表では平穏に話しながら、家に帰ると影口をたたくなんてのは最悪ですから。

 

例えば、人から贈り物をもらった時に本人には「素敵なものをありがとう」と言っておきながら、その人が帰った後に「なんだこんなくだらないもの、こんな安物」とか言ったりしたことはないですか?

そんなふうに、応対時と帰った後で言うことが違っていると

それを見た子供は「人は見えないところで私の影口や悪口を言い合っている」という世界が脳内に出来上がってしまいます。

他人に明るく応対されたとしても「自分は他人に影で悪口を言われている」と思い込むようになるでしょう。

 

このように、人の影口を言う度に子供は世の中を信じられなくなっていきます。

 

案の定、私は今までずっとそう思い込んできました。

それはとても苦しいことです。

 

絶対的解決方法はわからないのですが、

おそらく「今周りにいる人を大事にしましょう」ということです。

今から、親に「愛情をくれ」「わかってくれ」と言っても、一生かかっても無理でしょう。

 

ですから、今できることは、

まず、あなたの周りにいる人を大切にしましょう。愛しましょう。応援しましょう。

一人でもいい。分かり合える人がいれば

まずは、その人を大事にしてあげて下さい。

 

 

そして、もしあなたにお子様がいるのなら

無条件の愛情を、たくさん与えてあげて下さい。

 

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お読み頂き、ありがとうございました。 今日もあなたが幸せでありますように!