人の不幸は蜜の味は本当か
「人の不幸は蜜の味」と言いますね。
人の陰口やワイドショーのスキャンダル等
人はそれで不満を本当に解消できるのでしょうか?
休憩室や喫茶店などで耳を傾けると、人の悪口の一つや二つ聞こえてきた経験ってあるんじゃないでしょうか。
「あいつってxxxだよなあ」
もしあなたが…
xxxにネガティブな言葉を入れてしまいがちな人は要注意です。
例えば
「あいつ、バカなやつだよなあ」とか…
あなたが、他人を批評してしまうと、他人に批評される。
実際には他人は何とも考えてなくても、
勝手に自分が批評されていると心の奥で感じてしまうのです。
他人がAの状態にあるのを見たときに、あなたが「その人はBである」と考えたとすれば、
それは同時に、もしも今度あなたがAの状態になった時には、他人から「自分はBである」と見られていると、あなたが考えることになるわけです
誰もあなたに対して、そんなこと考えてもいないとしても…
あなたの心はそう感じてしまうのです。
人の不幸を蜜の味としてしまう人は、後に自分が同じような目に遭った時に、毒の味を味わうことになってしまうわけです。
ワイドショー等で、人の不幸を楽しんでいる人は
たいていは、そう思われないよう不安で仕方がない人です。
人の事を
「可哀想なやつ」
「IQ低いやつ」
「仕事出来ないのろまなやつ」
「不幸なやつ」
「恥ずかしいやつ」
「ダっせえやつ」
「情けないやつ」
「つまらないやつ」
「時間無駄にしてるやつ」
「お金がなくて惨めなやつ」
と思うことは、
そのまま自分をそうのように思われると感じることに繋がってしまう。
だから、人から批評を受けず自由な自分でいたければ、人を批評しないことです
人を批評するから、自分も批評される
例えば人を「バ~カ」と批評すれば、
自分が何かで失敗したときに(例えそれは他人から失敗だと思われていなくても)
他人から「バカにされる」と思われてるように感じます。
同様に
「可哀想」と思われる
「不幸だ」と思われる
「仕事出来ない」と思われる
「恥ずかしいやつ」と思われる
「ダっせえやつ」と思われる
「情けない」と思われる
「くだらないやつ」と思われる
「時間無駄にしてる」と思われる
「お金がなくて惨め」と思われる
その批評の言葉が多ければ多いほど、それを避けなきゃという、心の縛りが増えていきます。
まわりにNOTしている数が、自分にNOTしている数なのです。
これが、「批評したらされる法則」です。
ですから、こうならないためには
相手を批評しない!
相手に「NOT」をつけない!
相手に「OK」を出してあげる!
ことです。
自分が批評しなければ、人からも批評されない。
心の束縛もなくなります。
心の自由度が大きくなっていきます。
ムカつく同僚や上司や友人に対しても
今まで軽蔑していたあの人に対しても
批評をしない。
かわりに、
「お!? お兄さん!今日もナイスだね!(^o^)」
そう思ってあげてください。
そうすればあなたもきっと
人に批評されない、
自分にNOTしない
自由なあなたになっていくことでしょう。
更には、
「自分の不幸が蜜の味」
と感じれるくらいになれば、怖いものはありません。