プラス思考、ポジティブ思考がもたらすもの 思考は現実化するのか?
「本気で願えば、夢はかなう」
「いいことを思えば、いいことがおきる」
「自分を肯定して前向きでいると、チャンスがどんどん引き寄せられる」
などと、バブル崩壊の頃からよく言われてきました。
かのナポレオン・ヒルも「思考は現実化する」と提唱していましたね。
これは実際のところ本当なのでしょうか?
もし、本当なら本やセミナーに今すぐ飛び込んでいくところなのですが…
この世はポジティブに行け、もっとポジティブに生きろといったような背中を押すアドバイスに溢れています。
そして自己啓発本やセミナーに嵌まる人々が、いつの時代も無数にいます。
かくいう私も鎌倉時代より鴨長明、兼好法師、デカルト等の弟子として仕え、現代自己啓発の原点と言ってもいいジャームズアレンやデールカーネギーが生まれる前の江戸時代~明治時代の頃から昭和の時代まで、1週間のうち8日間は、自己啓発に時間を割いてきました。
しかし私も500年以上やってきましたが、全く成果は上がっておりません。
そして実際に夢をかなえる人はいつの時代もほんの一握りです。
それはなぜでしょうか??
この答えをニューヨーク大学で心理学教授をしていたガブリエル・エッティンゲン教授がすでに20年にも渡るいくつもの実験を通して1991年に結論を出していました。
エッティンゲン教授は、プラス思考で成功できるどころか、場合によっては成功すらも遠ざける危険性があるということも指摘していました。
プラス思考で夢を見ると「人は頭の中でそれを達成し、現実世界の逆境を乗り越える行動力が低下する」と言うのです。
つまりは「夢見る人」の多くは「実行する人」ではないということなのです。
障害も困難も存在しないポジティブ本を読んでいる間だけは、確かにいい気分になるのだが…
厳しい現実に戻るとたちまち夢はしぼんでしまうのです。
夢を描くことにエネルギーを使い果たし、行動に移れないということなのです。そして、また悩み、次回のセミナーへ一目散…
商材や本として売る側としては、いいのかもしれませんが…
嵌ってエスカレートするリピーターほど金のなる木はありませんからね。
そもそも、もしポジティブ思考で空想の世界に浸っていれば、現実で成功できるのであれば、都合の良いことばかり考えて何もしない怠け者が最も成功するということになりますね。
だが、現実の世の中はそのようなことはなかなかありません。
日本ではというと、ちょうどエッティンゲン教授がこの研究を発表した1990年代から、ポジティブ思考系ブームが始まっています。
それで日本人は幸せになったのかどうかと言えば、1990年代からバブル崩壊で多くの企業や個人が資産縮小に見舞われ、自殺者が毎年3万人を超える時代に突入していったのです。
この頃から精神疾患の患者数もこの頃から増加の一途を辿っています。
バブル崩壊という時代の荒波の中で、ポジティブ思考の流行が日本を良くしたという形跡は見当たりません。
確かに、成功した少数にフォーカスしてみればポジティブ思考は素晴らしいもののように見えます。
しかし、ポジティブ思考でも成功できなかった莫大な人々の群れの存在には語られることは皆無であり、ポジティブ思考は別に崇める必要があるわけでもないことに気付きます。
そして、成功できない人は「まだまだポジティブ思考を会得出来ていない。まだまだセミナーが足りない」とそれを会得しようと膨大な金銭と時間を割くことになるのです。
もちろん、このような思考を取り入れることそのものには害はないでしょう。
しかし、それは必ずしも成功とリンクしているわけではありません。
お金と暇を持て余しているというのでなければ、そこに気付いたほうがいいと思うのです。もっとも気付かないから嵌っていくのかもしれませんが…
言えることは…
ポジティブ思考がなくても成功する人は成功するし、ポジティブ思考があっても失敗する人は失敗するということです。
カギは行動出来るかどうかだと思います。
あるセミナーで、「こんなもの見てる暇あったら、行動しろ!行動して、行動して、行動して、これ以上出来ないとなったときだけ、見ればいい。まずは行動」といったものがありましたが、
大事なのは実際に行動することです。
行動もせず、このまま夢心地でいたいというならば、何らかの依存状態、依存症とほとんど変わりはありません。
行動しないのであれば、成功するのは、セミナーを開き、商材を売るほうだけになってしまいます。それでは売るほう買うほうもお互いに残念な結果になってしまいます。
考えてみれば当たり前ですが、ひとつの事をとことん考え抜き、集中し、誠実に努力し、着実に行動している現実的な人が成功するのであって、適当に空想して行動もしない人間がいくらプラス思考を持っても成功しないのです。
会社で妬みや嫉妬を感じた時には、少し考えてみよう
「あいつ、俺より先に出世しやがって」
「なんで給料があいつより少ないんだ」
私がサラリーマン時代によく言っていた言葉です。
人は何かにつけて人に対し「羨ましい」などと思ったり、嫉妬したりするものです。
このような妬みや嫉妬が前向きなエネルギーに変えられたりならそれに越したことはないですが、現実にはそうはなかなかいかないものです。
少なくとも私には出来ませんでした。
実はこのような妬みというものをもつことと言うのは、その会社や組織に完全にあなたが掌握され、操り人形にされていることに他ならないからです。
「操り人形になりたい」「奴隷になりたい」という自虐願望があるという奇特な方は別にしても、一般にはこの「妬み」や「嫉妬」というのはあまり得策ではないのです。
それは、「妬み」「憎しみ」というのは、同じルールの範囲でしか起こらないからです。
例えばサッカー好きが、サッカーの上手な人に嫉妬することはあっても、野球が上手な人にそれほど嫉妬することはないですよね。
会社内で妬みの感情を持つということは、相手と同じ土俵上に立っているということにほかならないのです。
それは、つまり、その会社内でつくられたルールや価値観を自ら受け入れて認めてしまっているということなのですよ。
仮にあなたが、出世した同僚に嫉妬したとしましょう。
それは、自分も同じように出世したいという意識を潜在的に持っているということであるわけです。
ここでの出世の条件やルールというのは、その会社が定義したものであり、あなたが創ったものではないのです。
もう、おわかりでしょう。
その時点で、あなたはその会社のルールや価値観に縛られ、「使われる立場」になってしまっているということなのですよ。
簡単に言うと「その会社の定めた既定路線というレールを進めたら◯、勧めなければ☓」という価値観のみで生きているということなのです。
同じように「勝ち負け」に拘る人も、やはりそのルールに縛られる可能性が高いと言えます。
誰かを妬んだりしたときに、このような固定された狭義のルールに縛られていないか少しだけでも考えてみましょう。
そこには何か別の価値観が開かれ、あなたの成功の道標べになるかもしれません。
苦労話、我慢、忍耐自慢をする人の心理
本末転倒…
「世の中にはもっと辛い人がいるんだから」
「俺がお前くらいの頃は、そんなもんじゃなかったぞ、もっと厳しかったんだぞ!」
「あんたなんかまだ全然マシだよ、私なんてさ、会社でこんなことやあんなことが…」
「みんな疲れてるけど頑張っているんだよ」
「お前は努力というものを知らない」
「お前の為を思って敢えて厳しいことを言ってるんだ」
帰るのはいつも終電間際で、残業代はほぼゼロというブラック企業で働いていた頃に私もよく言われていた言葉です。
言う側としては、本当にアドバイスのつもりだったり、人の為と思って言ってくれている場合もあるかもしれませんが、
この類いの言葉は、
「俺が苦しんだんだから、お前も苦しめ」
「お前だけ楽してズルい」
をほぼ言い換えたものも多いのです。
たしかに、世の中にあなたよりもっと過酷な状況の人はたくさんいることでしょう。
もっと我慢してる人もいるでしょうし、もっと努力している人もいるでしょう。
でも、そんなことはあなたには関係ありません。
そもそもあなたが、我慢し続けたとして、例えば過労で倒れたとして、誰が責任をとってくれるのでしょう?
「あなたの為を思って」と言っていた人々は助けてくれるのでしょうか?
おそらく、責任はとってくれないでしょうし、助けてくれることもないことは容易に予想出来るでしょう。
今日もどこかで
「俺のほうが辛い!」
「私のほうが我慢してる!」
「いや俺のほうが◯☓◯☓…」
こんな争いが繰り広げられていることでしょう。
このような「不幸競争自慢」「我慢チャンピオン大会」には参加したい人だけが参加すればいい。
そこでチャンピオンになっても、何も得るものはありません。
それどころか、不毛な争いに精神的に疲れてしまうだけでしょう。
こんな大会にわざわざ参加する義務などありません。
あなたは、あなたで幸せになればいいのです。
人のせいにしようか?自分の責任としようか?どっちが得?
「あいつがあんなこと言うから~になった」
た」
「こうなったのはあいつのせいだ」
よく聞く言葉です。
私もサラリーマン時代には、しょっちゅう言ったり思ったりしていました。
人は、ついつい自分の失敗を他人のせいにしたがるものです。
たしかにそのことで心が軽くなるときもあるでしょう。
ですが、このような他人のせいにする行為はあなたを更に貶めてしまう可能性を含んでいます。
「こうなったのは、親のせいであって、俺の責任じゃない」
「今のこの悪い状態に至ったのは、あの人の責任だ。自分は悪くない」
「俺が破産したのは、あいつが投資話を持ち込んできたせいだ」
言いたい気持ちは、痛いほどよくわかります。
私などかつてはあなたの何倍も言っていた言葉かもしれません。
でも、たとえそうだとしても、言われたとおりにやって失敗したにせよ、
失敗した時は他人のせいにするのではなく、
「自分の努力不足のせいだ」
と考えるほうが結果的にはいい方向にいくのです。
このように他人のせいにしていたら、反省などしないでしょう。
ですから、今後「どうしたら上手く出来るようになるか」「今後失敗しないためにはどうしたらよいか?」
そんなことを考えることもないでしょう。
そして、きっとその先その努力もしないだろうし、よって成長もしないのです。
そもそも人というのは、実際にある程度痛い目に遭わなければ、なかなかわからないことも多いのです。
そうではなく、もし「自分の責任」と認めることが出来たなら、「自分で何とかするしかない」「頑張ってみよう」
という、前向きなモチベーションが湧いてくるはずです。
同時に
「自分で責任をとる」という行為は、自分のことは自分でコントロール出来ているということなのです。
逆に他人をコントロールすることは、まず出来ません。自分の思い通りに他人を反省させるなんてことは出来ません。
ですから、いつまでも周りの人に左右される人生になってしまいます。
また「他人を妬む、恨む」ということに時間をとられることが増えていきます。
それって無駄な時間だと思うのです。
全てではないにせよ、周りに左右されない自分自身の人生を生きていきたいなら、出来るだけ他人のせいにせず、「自分の努力不足」であると考えてみましょう。
成功本や自己啓発書、成功者の共通点はただ1つ
こんな話があります。
あるところに1日30人の新規客が訪れるというレストランがありました。
何でそんなにお客さんを新規開拓できるのか、ある人が訪ねたところ
「私は、1日に30人のお客を集める方法は知りません」
「ですが、1日に1人のお客を集められるであろう方法を30個実行しているだけです。」と…
自己啓発本や成功本を何百冊も読んでみたり、成功者の共通点を並べてみて個人的に思ったことは
言っていることは
「とにかく行動しろ!!」
「とにかく思った行動は全部やれ」
これに帰結します。
もちろん思考がまったくムダとは言いませんが、とにかく行動した方が、ずっと状況はうまく進むのです。
これは始めた後も同じで、
「何年後にこうなっているので駄目なのでは?」
「こんなことが起こったらどうすればいいのだろう?」
ということを考えたり、また人に言われたりするものですが、
どんなに必死に考えて、研究しつくしたように思えても、実際に予想通りになることなんて、ほとんどありません。
どんな優秀な人のアドバイスといえども同じです。
もちろんそのように予想することや考えることがまったく無駄とは言いませんが、
とにかく行動した方が、ずっと状況はうまく進むのです。
たぶん何年か後には、その想像もつかない状況になっていることもあるはずですからね。
ただ確かに「一か八かの大勝負」のカッコイイですが、全く考えもなしに大量の予算をかけてしまうのは賢明ではないかもしれません。
個人的には、大きな勝負を1つ2つやるのではなく、小さな勝負、低予算の勝負をたくさんやることがいいのではと思ったりします。
それなら失敗しても痛手ではありません。投資で言う「分散投資」「リスクヘッジ」のような感じですかね。
そしてやってみて一つでもうまく行きそうなものが出てきたら、そこに予算や労力を再投入すればいいわけです。
それでも「もう若くないし、新たに行動を起こすなんて出来ないよ」という人もいるかもしれません。
でも敢えて言いますが、それでもやりたいと思ったことはやってみるべきです。
もしそれでもという方は、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースがKFCを起業したのは65歳だったということを思い出して下さいね。
決断しないこと自体が最悪の選択
イスラエルの心理学者、メラマードによれば、優柔不断な人ほど、不安を抱えやすい傾向があるそうです。
実際、迷えば迷うほど、大切な時間は過ぎ去っていきます。
精神科医であるシュピッツバートによれば、
大事なのは「決断の結果ではなく、決断すること自体である」と述べています。
考えてみれば、迷うということは、「どの選択肢にもほぼ同じ価値がある」とあなたが判断している証拠です。
それなら、些細な差を気にして時間をかけて悩むより、さっさと決断したほうがいいということがわかると思います。
それに、早く決断すればするほど、行動するための時間が生まれます。
たとえものすごくいい選択肢を選ぶことができたとしても、そのときにあなたがおじいさん・おばあさんになっていたら、意味がないのではないでしょうか。
またシュピッツバードは
「君がどんなに選択から逃げているつもりでも、実はそれは『選択を先延ばしにする』という、最悪の選択をしているに過ぎない。」とも述べています。
結局人は、選択から完全に逃れることなど不可能なのです。
ですから、
何かの決断で迷ったら、とにかく「結果」よりも「今決断することが大切」と考えること。
もしどうしても決断できないなら、コインやサイコロなどで決めてしまうほうが遥かに健全です。
さあ、今すぐ決断のサイコロを振ってみましょう!!
最愛の妻を亡くしたおじいさんへのフランクルの答え
人は誰しも、ときには、絶望にかられるときだってあることでしょう。
ましてや、強制収容所に収容された大半のユダヤ人はそれ以上に絶望の日々に明け暮れたことでしょう。
「ナチスの強制収容所に入れられ、いつガス室に送られるのか」という日々...
そんな日々に、どうやって幸せを見いだせというのか?
そんな過酷な日々を生き抜いたヴィクトール・フランクルの言葉には重みがあります。
そんなフランクルのエピソードの一つです。
ある日フランクルのもとに、年老いた患者が来ました。
彼は長年連れ添って愛した妻を亡くし、悲しみに明け暮れる日々を送っていました。
フランクル:「もし、奥様でなくあなたのほうが先に亡くなっていたとしたら奥様はどう感じていましたか?」
おじいさん:「おそらく妻はたいへん悲しんだと思います。」
フランクル:「であれば…あなたのおかげで奥様はその悲しみを逃れることが出来たんですよね?…だから…その苦しみには大いに意味があるんです。あなたは奥様を守る為に苦しみを受けているんですよ」
おそらく辛いこと苦しいことの経験はわざわざ出会いたくはないでしょうし、避けられるものなら避けたいものなのかもしれません。
でも忘れないでほしいのです。
貴方が前を向いて歩いてさえいれば、どんな辛いことでも意味はありますし、生まれることを!